先月、令和になってはじめての参議院選挙があった。例によって若者の投票率が低かったそうだ。各メディアはこれについて、若者の政治への関心が低ければ意見が反映されにくくなるとか、本来若者に向け使用されるはずの予算、税金が減ってしまうなど報じている。
これらの報じられ方には二種類の問題がある。
第一に、「民主主義」の意味の捉え方である。基本的な事だが、「民主主義」とは「多数決」の事ではない。
例えば、学校の遠足で、動物園に行くか、水族館に行くかを決めるとする。30人のクラスの内、29人が動物園、1人が水族館に行きたい、と意見が割れ、単純に希望が多い動物園に決まればこれは「多数決」である。一方、29人と1人に分かれ、議論し、1人が「あるとても珍しい魚の産卵が水族館で見られ、それは今の時期しか見れない」と言った事により29人が意見を変え、今回は水族館に行くという事になれば「民主主義」である。
そもそも、「民主主義」の主語は本来マイノリティなので、少数の意見が無視されるのであれば、現状の間接民主主義は健全に機能していない事にはならないだろうか。
第二に、「若者の投票率が上がれば、問題は多少なりとも改善する」という言説の安直さである。仮に若者の意見が反映されるようになったとしても、高齢者や他の年代の方々が生活しにくくなるのであれば、それぞれの立場が入れ替わるだけである。問題は解決していない。それに、大多数の有権者が是とする政治的意見が常に正しいという保証などない。
選挙はより多くの票を獲得した候補者が当選する、という前提なのに「民主主義は多数決ではない」とはどういう事か。この矛盾は、現状の社会システムのバグと言えるかもしれない。
以上から導きだされる結論は、「間接民主主義は再発明されなければならない」となるはずである。
勿論、それはすぐに設計できるものではない。次善の方法は、新制度が作られるまでの間、与党と野党の議席数がおよそ半々となるよう有権者が調整し投票する事である。そうなれば、与党は議論無しでは主張を通せない。それだと手間がかかる、結論がすぐ出ない、という意見もあるだろう。しかし、政治の決断は、100年後の国の存亡に大きく関わる。歴史が示す通り、性急な結論を避けることが最大のリスクヘッジである。民主主義は完璧な政治形態ではないが、多数決よりは遥かにまともである。
しかし、上述のような意見は各メディアからは聞くことはない。これらが余りに自明過ぎるので、あえてみんな口にしないだけだと諸賢よりご指摘があれば、私は自らの不明を恥じる他ないが。