DAISUKE MAEDA

/blog/2020.12.27

あまり前向きでない表現 前編

あまり前向きでない表現 前編

あまり前向きでない言葉を使わない方が良いよ、と人は言う。社会生活や人間関係において、なんか後ろ向きな言葉や吐き捨てるような言葉を使われては確かに良い気はしない。

では表現における「後ろ向き」はどうなんだろうか。個人的にあまり映画は見ないのだが、時間が経っても印象に残っているのは「羊たちの沈黙」のバッファロー・ビルやレクター博士、「エクソシスト」のリーガンのブリッジ階段下り場面など、あまり「前向き」とは言い難いシーンである。そんなん映画の選び方の問題やろ!と言われそうだが、ジャンルが偏らないようには注意している。

ただ、恋愛映画を見た後に「本当の愛って何だろう」とは考えないが、「羊たちの沈黙」を見た後に実際の異常犯罪者ってどんな人間だろうとか、「エクソシスト」の後に悪霊っているんだろうかとかは考えてしまう。

世にオカルトな話は多々あれど、「悪霊憑き」は特に恐ろしい印象がある。幽霊を見た、なら何かの見間違いと言い張れそうだが、生身を伴う「悪霊憑き」は有無を言わさぬリアリティがある。

昔読んだ本には、それは視覚を巡る認識の問題だと書いてあった。我々の五感の中で、視覚だけが対象を二重化する。つまり「視える」ものと「視えない」ものとにである。この二重化があるからこそ、人間を「肉体=視えるもの」「精神=視えないもの」の二元論で捉える事が可能になる。逆に言えば、我々人間が視覚が弱く、代わりに聴覚が発達している生物であったとしたらこの二元論は恐らく成り立たない。ということは当然「精神」と呼んでいる概念は、今とは全く別の形を取る事になる。同時に、「幽霊」なるものも形を変えてしまう。

また、我々は洞窟のような広大な暗闇の中で自分以外の音が無いまま自身の位置が分からなくなると正気を保てない。肉体という感覚器官を失った精神が「幽霊」であるとして、それはどのように周囲を認識し意識を保つのだろうか。

ところで、話はがらっと変わるが私は先日梅田に手袋を買いに行った。フォーマルな男性用の手袋を探していたのだが、そういうのは革製が多く、私はヤギ皮の手袋を手に取ったとき「羊たちの沈黙」を思い出し、ヤギはこんな形にされて恨んでへんのかな、と想像したとき「エクソシスト」を思い出した。ついさっき「それは視覚の問題だ!」と書いたにも関わらずである。こんなところでヤギの恨みを買っても困ると思い、フリースかニットの手袋を改めて探そうと決め、「後ろ向き」な表現の強さを思ったのである。