DAISUKE MAEDA

/blog/2015.11.30

ある帝王の悔恨

ある帝王の悔恨

前回、産業とアートの関係を「〜だ、〜である」という固めの文体で書いてみました。これはいつか、文章を書く仕事も出来ればなぁという淡い願望の反映に他ならないので関係者の皆様、機会があればぜひオファーお待ちしております。

さて、前回は産業とアートとの関係以外に、2008年のリーマンショックについても触れました。現在20代半ばくらいまでの方にはあまり実感が湧かないかも知れませんが、当時はかなりの衝撃でした。実体経済に与えた影響もさることながら、(前回と重複しますが)市場の万能性を主張した当時の米財務長官ポールソンが、自らの主張とは矛盾する公的資金を投入して回る様子が新自由主義の終焉を思わせるに十分だったからです。

それまで上手くゆくと思っていた方法、考え方が、実は全く正しくなかったという事を実感させられたのです。日本ではこういう「思想の転換点」には鈍感な中年、年配の人が多いので、企業では今も新自由主義的な考え方で運営が成されている所も多いかと思います。しかし、新しい方法論、制度で運営される組織も増えてきているのも確かです。

もしかしたら、大阪ミナミの雑居ビルの一室では転換点に気付いた金融業を営むある「帝王」が従業員の太郎に悔恨を口にしているかも知れません。

太郎「そしたらアニキ、アニキは新自由主義は一定の帰結を見た、と言わはるんでっか!!」

帝王「とっくの昔にそうやろがい!リーマンショックの時、ポールソンは潰れてまいそうな投資銀行に公的資金を投入してまわっとったやないけェ!ポールソンはゴールドマンサックスの出身やろがい!経済的自由競争を重視し、時にはそれを絶対視までして市場の万能性を擁護しとったのに、やど!!」

太郎「そやかて、それで金の価値が失われるゆう事にはなりはしまへん!!金はこれまで通り金のままですわ!金があればなんでも買えま!!」

帝王「アホウ!とっくの昔に市場の万能性が崩れとるんや!金の意味も価値もそれに釣られ変わっていくわい!」

太郎「あきまへん!アニキのようなお人がそんなこと言わはったらあきまへん!」

帝王「結局のところ、新自由主義っちゅうんはイデオロギーやったんかもしれんのう…80年代、最終局面に差し掛かりつつあった東西冷戦で共産主義に対し自由経済が優れとるっちゅう、それを見せつける為の行き過ぎたイデオロギーやったんかもしれん…」

太郎「アニキ!金で買えん物は無い、金こそ全てやと言うてはったやないですか!」

帝王「それもイデオロギーが言わせた言葉なんかものぅ…」

太郎「!!!」

帝王「わしらのように、幸せとは何か、自分は何を欲しいんか、その問いに答えを出せん者が必要以上に金を欲しがるんかもしれんのう…欲望っちゅうんは模倣的や。自分は何が欲しいか解らんから、他人の欲しがる物が欲しい…その為には金が要る…」

もしそんな会話がミナミの○田金融で交わされていたら、もう少し住みやすい社会になるかも知れませんね。