DAISUKE MAEDA

/blog/2021.11.28

うたかたとデブリレビュー 本編その1

うたかたとデブリレビュー 本編その1

前回から随分と時間が経ってしまった。

「うたかたと瓦礫(デブリ)」がどのような展示だったのか、ここではいくつかの作品に絞ってレビューしていきたい。展示概観が知りたい方は美術手帖のレポートが非常に分かりやすいのでご覧いただきたい。

会場では観覧順路は特に決められておらず、立体ともインスタレーションとも分類され難いオブジェクト群が迷路のように配置されていた。その真ん中あたりに仮設の階段のような、橋のようなものが配置されていた。

その橋は2015年の展覧会「突然、目の前がひらけて」で隣接する武蔵野美術大学と朝鮮大学校の境界(塀)に架けられた橋の再現であった。本来「橋」というものは川や谷を渡るための道具で、「使われる」というその役割を通して受動的な形でしか人との関係を結べない。しかし、武蔵美と朝鮮大の壁、塀を超えて架橋された橋は日常の役割を担った道具としてではなく、一種の象徴として能動的に人の意識に変化をもたらすものであった。2015年は安保関連法案を巡る世論が激しく分裂した年でもある。それまでの日本社会に深く沈殿していた澱のような差別意識は、倫理を無視してヘイトスピーチとして公然と表明されるようになった。それは、もし近隣諸国との関係の悪化から外交面や経済面で攻撃を受けることになったら、もっと踏み込んで国内を攻撃されたら、という不安の裏返しからかもしれないし、戦争経験者が年々少なくなりこのような攻撃的な言動にはっきりと反対を示す個人、団体の声が小さくなっているからかもしれない。

そのような状況下で、特に両校を隔てていた「塀」を軽々渡っていくことの出来るこの橋は、月並みな言葉であるが社会の分裂に対してアートが示すことのできる応答であっただろう。同時に展示されていた「区画壁を跨ぐ橋のタイムライン」は文字通り作品(橋)が形になるまでのスケジュールとメモや付箋が張り付けられたアーカイブであるが、メンバー5人各自のアイデンティティやその背景にあるイデオロギーまで垣間見え、そこから感じ取られる決して交わらないであろうそのダイアローグの行方は、相互理解や結論ではなくお互いの無理解までを含んだ穏やかな連帯であった。それは別の位相で「壁」を橋で渡った瞬間のように私には感じられた。

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振り返ってみれば、平成7年の地下鉄サリン事件以前「セキュリティ」という概念は無かった。内側の安全を守るためのこの言葉は、「外側」と区別するための塀の存在を前提とする。その塀は双方の立場を明確にし、あえて違いを強調するものとしても機能する。「敵」がいるから安全を確保しないといけない。 逆に言うと、「安全」という言葉は無意識に「敵」という対象を必要とする。この言語上の構造は、不必要な部分にまで敵味方という意識を進行させる。我々はこの構造に留意しながら、安全というものを慎重に捉えていかねばならないのかもしれない。

両校の壁を跨ぎながら、バレーボールでラリーする映像作品も印象深かった。壁をネットに見立てラリーしているのだが、当然壁があるためお互いの顔が見えない。それどころか誰がいるのか、何人いるのかもわからないままラリーは続いていくのだが、壁から突然ボールが飛び出してくるので互いに歓声を上げながら打ち返している。原初のコミュニケーションというものがあるとして、その剥き出しの原型は、このようなものだったのだろうと強く思わされた。

敵/味方に限らず、状況を二極対立で整理する捉え方は近代的なものであり、つまり前時代的なものとなってきている。状況は多分に複雑であるが、しかし平成という時代はその複雑さを切り捨て、簡素で「分かりやすい」形式に無理やり押し込んできた面があったように思われる。

2000年の9.11、2003年のイラク侵攻は「安全」や敵/味方の構図でシンプルに語られてきた。本展覧会とはいささか話がそれるが、最後に「中村哲が14年に渡り雑誌『SIGHT』に語った6万字」という記事へのリンクを貼っておく。中村哲氏が生前アフガニスタン現地で見た戦争と相互理解についてである。

そもそも、「相互理解」とは何なのか、「物事」を整理し分かりやすくまとめることなど可能なのか。我々は自らの認知、認識機能というものを捉え直し、理路整然とした「合理性」がレトリックであったという事実に気付くべきなのかもしれない。