帰還不能点。「もはや後戻りできない段階」の事である。
先日、私は珍しく映画を観ていた。といってもBSでやってたのを途中から、30 分くらいだけだ。恋愛映画だったが、主人公の女性は恋人のわずかな変化に気付かず、些細な行き違いから関係は一気に崩れてしまう。何度か、修復出来る機会はあったようだ。しかし、彼女らはそれに気付かず、訪れた別れの場面からはもう、幸せだったあの頃へは戻れない。
過日、戻れない場所を思いながら、女性は言うのだ。「あの時の彼に、なんと言葉をかけたら良かったのだろう。」
ふむ。なんか心が痛い。そんな帰還不能な場面を観てしまった時はスフレを作ろう。バニラの香り高い「スフレ・サクソン・ア・ラ・バニーユ」がお勧めだ。レシピはこちらである。
「なんで唐突にスフレなん?」そう思われるだろう。スフレとは、焼き上がり後わずか数十秒でしぼんでしまう繊細なお菓子だ。スフレが熱いうちに中央に穴をあけ、冷たいソースを注いで、熱いスフレと混ぜながら食べる、タイミングが大事なお菓子である。タイミングを逃し、しぼんでしまうと美味しくない。「映画のあの場面が、2人が元に戻れるかの分岐点やったんやなあ」とか「なんて言葉をかけるのが正解やったんやろう?」とか考えながら、しぼむ前に食べるのだ。
とは言え、映画であればどこが分岐点になっていたか、すっきり整理されているので分かり易い。スフレであればなおの事、「しぼむ前」が美味しく食べられるかの分岐点だ。
しかし、現実の恋人や夫婦であればどうだろう。映画やスフレほど「分岐点」ははっきりしない。どの言葉が、どういった振る舞いが分岐点となり、互いの心が離れていくかその時は分からない。
おそらく、「分岐点」とは我々が結末を得て、遡及的な形で、過去のある地点に定立される物なのだ。目の前を過ぎ行くときはまだ「分岐点」では無いのである。結末を得た時、ああ、あの出来事が「分岐点」だったのだな、とあたかもそこに元からあったように立ち現れるのだ。この一種の転回を含んだ見方が私は好きである。
考えてみて欲しい。スフレだって、しぼむ事を知らされず供されれば、「何じゃこれ!しぼんでもうたがな!!これ最初にゆうといてえな!」となるだろう。結末を知っているから、しぼむ前に食べるのだ。という事は、映画の彼女が見つけられらない「かけるべき言葉」も同じ理由で、結末と対である。望む結末を得られなかった以上、「かけるべき言葉」も当然空位なはずなのだ。
…まあ、私が何を言ったって、かけるべき言葉の正解は「愛してる」以外になかっただろうけど。