ネットを眺めていると、ユニクロの広告が目に留まりました。「今年らしく、チノをはく。」まじか。もはや国民服と言われるユニクロですが、昔と比べどんどんおしゃれになってるような気がします。モデルも中村アンやし。
こんな事を言うとファッションが専門の人に「最大公約数的なお洒落やろがい!!お前のようなやつが!!服を語るなやー!!」と激怒されるのでしょうか?それともそれはこちらの古い偏見でしょうか?
登場した頃のユニクロは郊外型の店舗で安いけど、デザイン含め色んなものがひどかったイメージがあります。しかし、今はまずロゴとか店舗がおしゃれです。だってロゴは佐藤可士和、心斎橋店の設計は藤本壮介氏ですよ。
この変遷を、この20年で「デザイン」という学術分野の知見が社会の中で機能するようになったと見るべきか、それとも単にニーズを吸い上げ、経済をドライブさせるマーケティングの精度が上がったと見るのか、判断の難しいところです。
大阪では梅田や難波、心斎橋の一等地に店舗がある事を考えると、あれだけ価格が安くても採算が取れているのでしょうね。
そう言えば大阪梅田も再開発が進められ、梅田周辺だけなんか東京みたいになってます。昔の梅田を知っていただけに、梅田の再開発はAKIRAのネオ東京みたいな場所性を押し出したイメージで行われるのかと思っていましたが、そんな事を考えていたのは少数派のようです。こんな感じの。
今の梅田は新しい建物に囲まれ、清潔で中性的な見た目です。周辺のグランフロント大阪やルクアにはマーガレットハウエルやバレンシアガなどのハイブランドが軒を連ねます。その中にユニクロ。中性と並列の時代です。本文と全く関係ないですが、まさかブチャラティがバレンシアガを着るとは思いませんでした。
ミクロな日常は少しずつアップデートされ、同時多発的に変貌していっているのかも知れません。
一方で、全然昔から変わらないものも当然あって、最近のトルコリラの暴落やベネゼエラのインフレなどは、20〜30年前から世界各地で起こっていた金融危機と、既視感を伴って重なります。
これらの経済合理性をOSとする根本的な経済の仕組み、問題は、ビルに飛行機が突っ込もうが、原発が吹っ飛ぼうが変わりませんでした。マクロな日常は相変わらず血塗れです。同じように左手を顔に当ていますが、上を向くブチャラティと、うつむくエルドアン大統領の対比に目眩を覚えます。
「ものつくり大国」と呼ばれる(もしくは一部の人が自称している)日本ですが、人件費が高い、人手が足りないなどの理由で、もはや国内で作れる「製品」などほとんどありません。服は勿論東南アジアや中国製がほとんどですし、お菓子の貼箱のような、人の手で内職で作っていく製品だって、大量ロットになると中国でつくる場合がほとんどです。もう日本には、職人が手仕事で携わるような生産ラインが残っていないのです。どんどん産業が空洞化し、技術も、知識も失われますが、一度失った技術体系、知識体系は再び得ようとすると膨大な時間がかかります。言うまでもありませんが、精密機器のほとんども海外で生産されています。例えば、輸入、輸出に頼っている分野で、トルコのように他国に経済戦争を仕掛けられたらと思うと、(リアリティが無いと思う反面、)中々ぞっとしません。
「お金」で買えるのは、モノだけでなく未来だ、と何かの本で読みました。モノを買う時に、この企業が利益を出して、大きくなれば社会が良くなる、と思える企業の製品を買う事で、望ましい方向に社会が変わっていくというロジックです。欲望は教育され、統制されないといけないのです。それも怖いな。。。しかし、私が2~30年前にお金を出して買った未来が、現状の空洞化した日本の一部だとするのであれば、ユニクロで服を一回買う度に、日本製の服も一回買おう、と決意するのでした。





