和菓子屋さんで葛饅頭を買って食べた。透明の外側で、中にあんこが入っている。さらにその外側が笹の葉で包まれた和菓子は、手に取ると笹のとげとげするような、つんつんするような独特な手触りと清涼な香りが、饅頭のつるっとしたと感触と餡子の甘い匂いと上手く対になっている。
少し前まで、大手スーパーで売られているこの手のお菓子は笹の代わりにそれを模したビニールが巻かれていた。最近はまた本物の葉が巻かれているものも売られているらしい。
誰がその笹の葉を巻くかというのはこの場合重要な問題である。大手スーパーが巻く場合は美味しくなるから以上に「そのほうが売れるから」であって、味も情緒も度外視してビニールを巻いていた時代からのマーケティングのバージョンアップの結果である。一方、和菓子屋さんが巻くのは美味しくなるから以上にそもそも「そういうもの」だからである。前述した笹と饅頭の質感の対比が「味わい」であって、それが無いと「葛饅頭」として成立しない、というのが和菓子屋さんの主張である。少なくともそう思いたい。両者見た目は一緒である。
最近、「現代美術」と「アート」の違いについて考える事が多い。そんなこと今更気にせんでええやろと言われることがほとんどだが、もはや使われることの無くなった「現代美術」と呼ばれたものは和菓子屋さんが巻く「笹の葉」のようであったな、と食べながら懐古してみる。それには非日常な出で立ちでありながらきちんと奥行きも手触りも内面もあり、それを以て日常を包むことで「日常」のパースペクティブも刷新された。
複雑な内面があるから薄暗い精神の裂け目も表現することができた。例えば塩田千春の90年代の浴槽で土を浴びるパフォーマンス、エナメル塗料を頭から浴びるパフォーマンスをおさめた映像作品は、近代というダブルバインドによって身体と精神に生じる病理へ対処する為のネガティブな戦略と捉えることもできるだろう。アートがよく言う「遊び心」や「親しみやすさ」とは無縁の作品である。
時間は不可逆なので、現代美術に回帰したいわけではないのだが、それでも「アート」のフラットさやスマートさ、無理矢理おしゃれに尖らせた感じなどは見ていて中々ぞっとしない。
わかってもらえるだろうか。
大阪の京橋駅のごちゃごちゃしたところでおっさんが「今日は雨が降りそう、今日は雨が降りそう、雨が降りそうやで〜!!」とひたすら連呼していた。それをちょっとあれだからと無視するのではなくそれは近代のダブルバインドに対処する精神のネガティブな戦略の発露であると捉えるのが現代美術のスタンスである。それは確かに古い。90年代末の感覚だ。若い人にはご理解頂けないかもしれない。現在、ダブルバインドは解消された訳ではなくより巧妙に日常の中に隠された。だから昔のような直接的な表現ではそれに対処できないかもしれないが、ではそれをおしゃれに言ってみよう。サニーデイ•サービスで「雨が降りそう」である。
とても良い曲だと思うし、批判がしたいわけでもない。私はサニーデイ・サービスのファンである。同じことを言っているのだが、しかしアートのようにおしゃれである、と言いたいだけだ。