DAISUKE MAEDA

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2017年5月の投稿一覧

「美術」の主語は誰か

巷では「写実絵画」がブームだそうです。以前に比べて価格が2倍、3倍に上がっていると、たまたまWeb版の日経新聞で見かけました。

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そう言われてみれば最近「写実絵画」、その中でも一昔前に美人画と呼ばれていたような作品を見かける事が増えてきた気はします。

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こんな感じの。黒田清輝のような雰囲気の絵を見ることが多い気はします。

しかし、現代において、写実的•再現的な絵画を見る時、私の頭を「絵画とは何か」というモダニズム的な、少々古めかしい自己言及的な問いがよぎります。

例えば、椹木野衣氏の「日本•現代•美術」や北澤憲昭氏の「眼の神殿」、佐藤道信氏の「美術のアイデンティティー」など、90年代後半頃から美術の制度史的な面にフォーカスを絞った本を見かけることが増えました。これらの本は明治に輸入された「美術」という概念が日本の社会に、民衆にどのように受容されてきたか、もしくは美術という制度を通して受容を強いてきたか、が論じられています。

あまり言及されませんが、美術とは「制度」なのです。

それは美術が「アート」に名称を変えた現在であろうと、その事だけはどうしようもなく変わらず、美術(アート)とは「見ることの制度」なのです。

『いや、だからさぁ!もっと広い意味で捉えりゃ!美術そのものも!なんちゅうか見ることの〈制度〉ということは出来ひんか?美術への構造主義的、記号学的アプローチが可能とゆうんであれば、この点でやろ!?けどさぁ、この種のアプローチじゃあコードが「見ること」の側じゃなくって、「見えるもの」の側にばっか求められとんちゃう?その場合は「見えるもの」、まあとりあえず、微妙に違うんやけど一旦「記号」と言い換えようや、「記号」がどんな状態に置かれとろうと、常に、既にあるもんっちゅうか、無条件に固定されたもんちゅうか、いつもおんなじもんが想定されとる!けどやで、「記号になる」瞬間ちゅうの?そういうもんが考えられるべきちゃうんかな!「見えるもの」—ひとつの色彩、ひとつの対象—がそれ自体で「記号」ちゅうわけではないんよ!それは多分、ディスクールの実跡のなかで記号「になる」んちゃうか?理解できんか!?お前にも解るように言うたろう!「見えるもの」が記号になるんは!例えばひとつの林檎が「静物」と呼ばれるとき!例えば美人のおねーさんが「美人画」と呼ばれるときちゃうかっつってんの!それは林檎を描いたり、美人さんを描いたりすることがそれ自体で絵として成立してまうこと、もっと言えばそれが「美術であること」を合図しとる!それは既にディスクールやろがって事じゃ!』

まぁこんな荒い語気でも、関西弁で言ったわけでもないでしょうけど、40年くらい前に美術と制度の問題を指摘したのが宮川淳氏でした。

美術やアートとは、その制度を自覚し、その枠から出ようとする、もしくは拡張しようとする行為の謂いであるのだ、と私は主張します。そしてそれは過激な態度であるべきですし、そうでないとまた意味もないのです。

「写実絵画」がただ写真のように描くだけではなく、例えばその描かれた人物の内面や心情、人間性まで見事に表していたとして、加えてそれぞれの作家の個性が強く表れていたとしても、それは単なる照明や光、ポーズの演出の中に、描く者、観る者双方の制度に促された視線が捉えた虚無にも似た幻影では無いかと思ってしまうのです。権力や制度と結びつき、それ自身に沿って現実を形成していく言説をディスクールと呼ぶ、というのであれば。

まあ「絵画」の方向性もそれぞれ、価値観もそれぞれなので何が良くて何が悪いという事ではないのかもしれないですが、マーケットや現状に対して、制作者側からも問題提起を、ということでこれを記します。

*参考文献「美術史とその言説」宮川淳 水声社

 

「私」の記憶はどこにあるのか

普段の日々が取り留めなく過ぎ去って行く中、人は誰でもたわいない事柄は覚えておれずいつの間にか忘れてしまいます。もしくはそれらの事柄の前後や詳細がどんどん曖昧になっていき、元の姿とかけ離れた形で記憶される事になります。家族や親類、親しい友人と集まって昔話となった場面で、一つの事柄に対しそれぞれの記憶や認識が食い違うといった事は珍しくはないでしょう。

個人にまつわる小さな出来事、記憶でもそんな曖昧な事態が起こるのですから、歴史のターニングポイントとなった大きな事件や事柄は、理路整然とした語り口、単一の視座での記述はそもそも不可能であるように思えます。

例えば、第二次世界大戦の始まった理由。その中の盧溝橋事件や真珠湾、硫黄島の戦いなどの個別の事柄。それらはこの百年での最も大きな出来事とその一部ですが、それらを経験した当事者達でさえ、視点が異なれば見える像が異なり、全容を把握する事は困難です。しかしそうであるにも関わらず、歴史化される際はあたかもそれらに明確な原因と結果があり、まるで一つの大きなストーリーがあったかのように記述されます。実際の全容は一人の認識できる範囲をはるかに超えて巨大で、当事者それぞれの異なった認識を無理矢理つなぎ合わせ、仮初めに全体像の輪郭を組み上げるしかないにも関わらずです。

ある出来事が歴史化される時、そこには必ず改変が加えられます。時には政治的権力を伴った意思によって。あるいは単に時間の経過と共に変化する価値観によって。歴史とは勝者の歴史である、と言ったのはヴォルター•ベンヤミンだったでしょうか。違うかも。

しかし、そもそもある出来事の複雑で大きすぎる全容を正確に記述することなどはじめから不可能ではないでしょうか。だとすれば、歴史は恣意によって「つくられる」ほかないものかもしれません。

4月22日より群馬県立近代美術館で始まった展覧会「群馬の美術2017」において、白川昌生氏の《群馬県朝鮮人強制連行追悼碑》という作品が撤去されたそうです。

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今回の白川氏の作品は、歴史や社会の記憶をアーカイブする為に設置されたモニュメントがテーマのようです。

本来、公の記録を刻む恒久的なはずの記念碑は、時とともに物理的に外観が変化します。それと相対するように、そこに刻まれた歴史や記憶、メッセージは思いがけない変容を遂げることがあります。布で覆われ、そこに何が刻まれていたか解らない記念碑(を象った立体物)は、まさに歴史や記憶が何らかの意思により「つくられる」ものであり、変容させるものだということを痛烈に我々に伝えます。今回の美術館の撤去命令により、白川氏の作品はその主張を美術館内でまさに体現した形となりました。

作品撤去により表現の自由を侵犯した事についての批判は各方面から起こっています。それに対しての県の言い分は、作品の元になった県立公園群馬の森(高崎市綿貫町)にある朝鮮人労働者の「追悼碑」を巡って係争中だから、ということのようです。

「係争中だから展示しない」ということは裁判の行方に何かしら今回の作品が影響するから、ということなのでしょうか。例えば仮に、今回の作品がどちらかに偏った思想を示していたとします。係争中の事柄に対して、偏った思想の作品を県立美術館が展示していたとしたら、その「偏った思想」を県が支持した、という事になるのでしょうか。

一方で法律に則れば、美術館での作品、展示には表現の自由が保証されており、基本的に主催者も美術館も作品の政治的主張に口を挟む事は出来ません。逆に言えば、そこでどのような主張が作品によって展開されたとしても、それは主催者や美術館の主張、立場とは独立したものであるという事が前提になります。その前提がある限り、「係争中であるから作品を撤去する」という主張は矛盾•破綻していると言わざるを得ません。

しかし現状「係争中だから展示しない」という事態は「美術館で展示されている作品は、おおむね主催者や美術館の政治的主張と近いものである」という前提がないと成り立ちません。現にWeb版の朝日新聞では撤去の理由を『同館は「県は碑の存廃をめぐる裁判の当事者。存否の両論を展示内容で提示できない以上、適さないと判断した」としている。』と報じています。論理的には破綻した事態に思えます。

そもそも、今回の作品は「追悼碑」の是非を問うものですらなく、現地にある追悼碑がモチーフとして採用されただけです。

どう考えても何らかの恣意的な撤去の理由を「係争中」ということをこじつけ覆い隠しているように思えてしまいます。もっとも、覆い隠されているものがあったとして、それが権力者による主義や思想の抹殺といった剣呑な事態とは限りません。ある県の職員が、議会の上層部からつつかれ出世に影響しそうと思って「時期が悪いので今回は見送りに…」、とか、議会の保守派重鎮が作品タイトルだけを見て作品の中身は見ず「けしからん!」といったとか、実は深みも奥行きもない事態が覆い隠されているかもしれません。

一口に「表現の自由の侵犯」といっても、その理由や主体は様々です。日本の新聞、報道機関はその辺りを掘り下げないなぁといつも思います。今回のケースも前述の矛盾•破綻を指摘し、本当の撤去の理由は何だったのかを言及している新聞、報道記事は(私が調べた限り)見当たりませんでした。そういえば、日本にジャーナリズムなんてものは無く、ジャーナリストも存在しない、という皮肉を耳にした事が過去何度かあります。報道の自由と表現の自由は相関関係があるのです。

繰り返しになりますが、今回の騒動はまさしく白川氏の作品のテーマが現実に立ち現れ生成されていく過程に立ち会ったと思えるものでした。私はこの作品を鑑賞する機会も、作品について議論する機会も奪われたのです。

撤去騒動の本当の理由は何だったのか、誰の意思で作品が撤去される事になったのか。そもそも、作品はどんな内容のものだったのか。その全てが解像度の低いモザイクのような形でしか報道されない事に表現の自由が侵犯された事と同等の気持ち悪さを感じます。表現の自由が侵犯された、と大仰に報じている新聞やメディアでさえ、解像度の低い報道の仕方から実はその事に大した関心を持っていない事が伺い知れます。だとすれば、目の粗い報道を通じてしか遠隔地の出来事を知り得ない「私」の記憶はどこにあるのでしょうか。