前回、「画家」の笹山直規の作品について、15年間ひた隠しにしていた本心、評価を下げるようなことを言ってしまったので、今回は私なりに批評になるようなことを書いてみたいと思います。彼の作品は死体というモチーフからして炎上前提なような気もするのですが、そういった倫理面からの拒絶のされ方が目立ち、作品の中身、クオリティについて言及される事は驚くほど少ないのです。従って、彼が自分自身で作品の中身、クオリティについて語らずを得ず、それは必然的に客観性を欠き、状況としては良くないものだと思われます。微力ながら、その状況を好転させる一助になればと思い、この文章を記します。それでは始めます。
「画家」の笹山直規について語ろうとするとき、まずは2005年まで遡らねばならない。2005年は彼が、「空が泣いている、あたしが流せない涙のかわりに」という作品で、群馬青年ビエンナーレで大賞を受賞し、全国的に彼の名前と作品が知られる事になった初めての機会であるからだ。
当時も今も、言うまでもなく「死体」を描く事は見る人の倫理観を刺激し、公共の場で展示する事に議論を呼び込む。いや、その言い方には欺瞞がある。もっとはっきり言い直せば、見る事も展示する事も拒否されるのだ。そういった状況の中で、「公共の場」である群馬県立近代美術館で作品が展示され、収蔵されるに至った事実は、一つのごく真っ当な価値観を提示する。すなわち、美術において、「倫理」の問題と「作品としてのクオリティ」は分けて捉えられるべきものであるという事だ。
昨今、この「公共の場」という概念は、ほとほと誤った理解に基づいて運用されている。言うまでもなく、公共性の主語はマイノリティである。どうしても弱い立場を強いられる場合が多いマイノリティに対して、配慮と権利は当然認められるべきであるが、現代では多数決のような文脈で「公共性」が運用されており、大多数が「是」とする方向に物事を押し進める際に「公共性」という概念が使用される。美術においては、大多数の人が「見る事」を拒絶すれば、公共性の名の下、展示スペースから作品は削除され、少数の「見たい」人の権利を剥奪する。本来の場合、正しい対処は(展示会場の入り口に、一部不快な表現がある、などとアナウンスを表示し)見たくない人は見ない、見たい人は見る、という事だけである。
現代の社会には、例えどのような立場の人であっても、資金がどれだけあったとしても解決出来ない問題がいくつかあり、倫理観、状況によっては法律さえも絶対的に「正しい」と言えない場合がある。故に、それらを疑う視点を含んだ美術、アートの表現は、規制の対象とされるべきではない。社会全体が誤った方向に進もうとしたとき、「それは違う」とはっきり示すこともまた美術、アートの役割の一つである。しかし、倫理観や法律はその時勢によっても左右されるので、時に歴史の分岐点に立ち会う作品は法律を侵し、倫理を無視する事になる。後世になってようやくその正しさを証明されるのだ。
さて、ここまでが、「倫理」によって拒否される美術作品、アート全体(笹山の作品だけではない)についての擁護である。断っておくが、笹山の作品が歴史の分岐点に立ち会う事になるような重要な作品である、と主張したい訳では決して無い。
「死体」を描く笹山の作品には中身がない。それは2005年当時から、現在まで一貫している。彼の作品の多くは、ネットにある事故現場や死体の画像を元に描かれている。恐らく、その素材に由来しているであろう、彼の作品は「フィジカルなリアリティ」を一切感じさせない。もともとネットの画像にリアリティを感じろ、というのは無理があるのかもしれない。一時期、現実よりもネットこそがリアルである、といった言説を見聞きすることがあったが、今となっては多分に古めかしく感じる。(もしそうだとすれば戦争のゲームをした人は、戦場のトラウマがフラッシュバックしないよう治療を受けねばなるまい。)リアリティとは身体を伴った一回性の体験である。笹山が描く「死体」は遠い外国の他人種のそれであり、どこか、B級映画の一場面を、つまり「作り物」を思わせる。一度でも、生死と隣り合わせの事故や事件、または戦争を経験したことがある人が笹山の描く「死体」を見れば、フィギアやジオラマといった物を思い浮かべるだろう。
笹山自身が2018年3月の展示のステイトメントで言及している通り、彼は「死体」を西洋美術の理想化された「人体」画の(対極的な位置づけであるが)延長として捉えているようである。
これは私にとって意外であった。というのは、私が彼の作品に感じていたものは、歴史的な視点よりも、むしろそういった物が欠如した、今、ここ、でしか感じ取れない倦怠感、膿んだ時代性だったからだ。
恐らくそう感じていたのは私だけではない。笹山が群馬青年ビエンナーレの大賞を受賞したときの審査員は、美術家の会田誠氏、インデペンデントキュレターの東谷隆司氏であった。今や説明するまでも無いが、会田誠氏の作品には意図的に歴史性と中身が無く、そういった構造を作品に持ち込む事で日本の現代美術を相対化、揶揄するようなものが多い。キュレターの東谷氏の代表的な企画展は1999年の「時代の体温」であるが、こちらの企画展も歴史的な視点は意図的に排除されていた。以下、それを示す椹木野衣氏の文章である。
『この展覧会は英字タイトルに大きく「ART / DOMESTIC」と記されているように、美術には、冷めた<インターナショナル(グローバル)>な理論や歴史からは決定的に損なわれている、自分が生きる場所を見据えた者だけに感じ取れる<ドメスティック>な「体温」と呼ぶべき尺度があり、それを可視化することがキュレーターとしての自分の仕事だと宣言することを意味していた。』ART it 椹木野衣>東谷隆司−その「存在と体温」より
会田氏、東谷氏、この二人が評価した点こそ、フィギアのように空疎な死体が逆説的に浮かび上がらせる、膿んだ時代の「生」=体温ではないのだろうか。恐らく、笹山の作品が評価に値するとすれば、この点以外には無い。彼の作品は、美術としての中身を伴わない=理論や歴史からは決定的に損なわれている、からこそ意味を持つのだ。そう考えれば、質感の生々しい油彩の作品よりも、軽快な色彩とタッチの水彩の作品のほうが優れている事にも説明がつく。「死体」のリアリティから離れれば離れる程、彼の作品は意味を持つだろう。
しかし、2005年から現在までの十三年間、この「体温」は前述の「公共性」によって蔑ろにされてきた。笹山の作品に漂う「残酷さ」はあくまで、身振りとしてのそれである。それは「死体」を「生」に反転するための装置として機能し、今、ここ、で感じ取れる「生きること」を突きつける為に必要なものである。
「時代の体温」を企画した東谷氏は、展示のあと早々に世田谷美術館を去る事になったそうである。その後、東京オペラシティアートギャラリー、森美術館といった現代美術の中心となるスペースに、学芸員として関わられたそうだが、私が知っているのはインデペンデントキュレターとしての東谷氏である。その先鋭的な企画ゆえ、「公共」の場で自身の思想を展開することが困難になったであろうことは想像に難くない。そして2012年にわずか44歳で自死する。
私にとって、東谷氏の死は笹山の作品とどうしても1セットで想起される。笹山の作品は、まさに特定の何人かが感じている「生きにくさ」そのものであろう。美術には今、ここ、にしか存在し得ないドメスティックな体温が確かに存在する。それは、理論や歴史とは別の次元の手触りであるだろう。
以上が、2005年から私が考え続けている「忌避されるもの」として捉えられる笹山の作品の、公共での役割である。「中身がない」笹山の作品は、発展の仕様がない。それ故、2005年から同語反復的に一貫しているのである。恐らく本人はその事実を否定するだろう。しかし、ナルシスティックな笹山本人(それは「空が泣いている、あたしが流せない涙のかわりに」という作品タイトルからも推し量る事が出来るだろう。)の言説は本人自身を捉え損ねている。はっきり否定しておかねばならないが、西洋美術の人体の延長として「死体」を描くことに、どのような意味も価値も有り得ない。
時は流れ、2018年となった。2005年当時よりも、よほど受容される表現の幅は減り、画一的なものとなった。「現代美術」はアートという口当たりの良い言葉に置き換えられ、あくまで「楽しい」ものとして市民権を得た。「画家」という肩書きはもはや死語である。そのような状況下で、VOCA展に「画家」の笹山直規を推薦した東京ステーションギャラリーの学芸員、成相肇氏はどのような評価、批評を、時代に対して展開するのだろうか。ぜひ注目したい。











