DAISUKE MAEDA

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2019年2月の投稿一覧

美術史が停滞している その1

*大げさなタイトルだが、今回の内容はほとんどは私のグチである。だから本当に時間を持て余してどうしようもない人だけお読み頂きたい。

弟が結婚する。それ自体はおめでたい事である。両家の顔合わせや挨拶も恙無く進み、後は結婚式だけである。兄としてはうれしい限りである。季節は春に向い、少しずつ暖かくなっていく。穏やかな春は物事の始まりを予感させる季節でもある。そんな時期に、ついに弟も家族を持つのかと思うと感慨深いものがある。

しかし、ここで私に思ってもみない、重大すぎる問題が勃発する。いや、「思ってもみない」と言えば嘘になる。心のどこかで危機感を感じていたが、気付かないふりをしていたのだ。もしかしたら美術系の大学出身、在籍の方にはよくある事かもしれない。

俗に言う、「◯ ◯作って」問題である。これは特に結婚式関係で多い。

「ウエルカムボードをな、作って欲しいねん!」とか「メッセージカードをデザインしてほしいねん!」とか、何故か美術系、というだけで周りから言われることが多い。今回私が受ける依頼は「席次表」だそうで、それは一枚一枚配るという物ではなく、お越し頂いた皆様全員がそれを見る大きな物を私が1つ作り、それを会場に設置するということらしい。それを告げられた時、私は曖昧なつくり笑顔を浮かべながら、何とか断れないかと必死に考えていた。

「断らんとそれくらい作ったれや!」と思う方も多いだろう。何を言っても慶事である。出来るなら、私も快く引き受けたい。しかし。

もし、これを読んでいるあなたのご家族、友達に藝大美大の人が居たとして、この手のものを頼みたいと思っているのなら、まずはその人の所属学科を確認すべきである。その人が「美術学科」なのか、「デザイン学科」なのかは、この問題において非常に重要である。

なぜなら美術学科に属する人の多くは、デザインが出来ない。意外かもしれないが、事実である。

私は美術学科出身である。もちろん私も出来ない。なぜなら美術学科は「絵」を描く学科だからである。

「絵画」も「デザイン」も似たようなものじゃないん?と思う人も多い。本当に多い。しかしこれはあの有名な将棋マンガ、「3月のライオン」と「月下の棋士」くらい違う。

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この2つのマンガを読んで知っている人なら、将棋がテーマってだけで全然ちゃうやん!別物やん!と思う事だろう。そう、絵画とデザインは基本別物である。

もう少し例を出せば、数学と物理、野球と水球、麻雀とドンジャラくらい違う。そもそもルールそのものが異なる、全く別のものなのだ。全く関係ないが、私は哭きの竜も好きである。能條純一のファンなのだ。

私は折に触れ、「美術」と「デザイン」の違いを周囲には出来るだけ丁寧に伝えてきた。しかし全く伝わっていなかった。しかも家族に。

こういう不幸を連鎖させない為にも、ここで「絵画」と「デザイン」の作り方の差をはっきりさせたい。本来は中学校や高校で、この程度の差は理解できるようにカリキュラムが組まれるべきだが、「図画工作」や「美術」で一つに括ってしまう学校では、本当に表面的な事しか教わらない。きっと教師も分かってないことすら分かっていない。

「車」を例にとって説明しよう。

車をデザインしたい時、まず決めなければならないのは「何に使われるか」という部分である。いっぱい荷物を乗せて配達に使いたいのに、荷室が小さければ使用目的と合わない。目的に合致するように、車自体を大きくし、荷物を積めるスペースを確保しなければならない。また、荷室を広く効率よく使用する為には、車高は高く、見た目は四角くなっていく。

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反対に、カーレースで使うような速い車の場合は、コーナーで姿勢を安定させるために車高は低く、空気をスムーズに受け流すため、外見は滑らかになっていく。

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ここで重要なのは、デザインは物理法則を無視出来ないので、「荷物は一杯積めるけど、めっちゃ速く走れる車」は作る事は出来ない。論理パズルが上手く組み上がらないのである。考えればすぐ分かるが、荷物を一杯積んで高速コーナーに突っ込めば横転するのみである。

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逆に、「絵画」であれば、車の使用目的なんか気にする必要はない。荷物が一杯詰めて、めっちゃ速く走れる車だって「絵」にするのは簡単である。空だって飛べるし、なんなら光速も超える。そんなの作者の設定次第である。

「デザイン」はどうやっても現実とのリンクを外せないが、「絵画」は簡単に現実と切り離せる。もっと言えば、「デザイン」にはクライアントが居て、目的があり、予算内でその目的を達成する必要があるのだ。先述の配達車が、荷物は一杯積めるけど、車の価格が4000万だったら、とてもじゃないがペイ出来ない。その為に、デザイナーはまず前提条件を整理する。車の例でいうと、どれくらいの市場規模で、競合商品にはどういった物があるか、ターゲットはどういう層になるか、そういった部分を整理していくのである。ちなみにその商品やサービスを利用するもっとも典型的なユーザー像をペルソナと呼び、詳細なペルソナを設定した上でデザインは行われる。それは性別や年齢はもちろんの事、職業や性格、果ては家族構成や収入まで設定し、デザインは設計されていくのである。

話が大きくなった。席次表の話である。あくまで絵画が専門の私が、どれだけの苦行のもとデザインに似ているが決定的に違う何か、を行い、席次表を制作したのか。それは次回に続くのである。

冷たい雨はいや

この三連休は色々と用事があり、京都へ行った。

京都へ行ったついでに、ふと思い立ち、京都市立芸術大学の卒業制作展にも足を伸ばしてみた。どこかの美術系の大学の卒業制作展に行くのは、恐らく14、15年振りで、学生の時でさえ私はほとんど他校の卒制には行ったことがなかった。

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にも関わらず、久々に、久々すぎるが卒制なるものに行こう、と思い立ったのは2つ程理由があって、1つは、今や有名人になりつつある日本画の井上舞さんが、今年で大学院を卒業だと言っていたのを思い出したこと、もう1つは、今の20代の人はどんな作品を描くのだろう、という好奇心が、少し前から私の中に燻っていた事、が挙げられる。20代前半の人の作品を見る機会がほとんど無くなってしまった私は、一度まとめて若い人の作るものを観て、現状の「絵画」を定点観測しておく必要があるなぁ、と最近思っていたのである。

バスに迷いながら、大阪で暮らす私にとっては京都のバスは分かりにくくて、ほんとに迷いながら何とか雨の京都市立芸大に到着した。

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ちなみに京都のバス路線図は、このくらいの大きさだとどうなっているのか分からんくらいの集積度である。旅行者には優しくない。

あまり時間もなかったので、絵画を中心に観てまわったのだが、出展されている作品は、皆とても作品としての完成度が高く、上手かった。

四回生とか大学院生の作品になってくると、油画も日本画もテーマやコンセプトもしっかり練れている物が多く、見応えがあり、その心象が影響するのか、廊下ですれ違う学生の顔つきもみんな大人びて見えたし、お客さんに自分の作品の説明をする話し方もとてもしっかりしていた。私がこのくらいの年頃の時は、いつも半分口を開きながら歩いていて、担当の先生には「お前もうちょいしっかり作品の説明せえや。。。」と言われることも多かったが、その時も、半分口が開いたままだったのでほとんど気にもしなかった。全く違う場所、学校なのに、当時の事をつい思い出してしまう。

とはいえ唯一つ、今回の卒制展で気になった点といえば、それぞれの作品のタイトルだろうか。具体的な言及はあえて避けるが、作品のタイトルがどこかで見聞きしたような物が多く、それは暗に、作る側の「絵画とは、こういうものである」という固定観念を示唆してはいないだろうか。

作品とタイトルは無関係ではいられない。そもそも、無関係であれば作品のタイトルとして成立しない。タイトルがどこかの美術館やギャラリーで見た先行世代の作品と、同じ語彙、文法の範疇でつけられているのであれば、必然、絵画の内容や形式もそれらと相似形をとっている事は多い。それほど絵画と言語は結びつきが強いのだ。

言語によって、自身の中で未分化な私/絵画を分節し、絵画にするべくキャンバスにアウトプットする。それは観念に受肉させる行為だ、と言い換えてもいい。絵画とは、言語とは別の仕方の世界の分節の方法だ、と私は思っている。しかし、前述の固定観念が強ければ、筆の運びや画面の処理、構図、色の選択が無意識に縛られ、見た目の差異だけを同語反復的に作り出しかねない。そうなると制作は早晩行き詰まる。「いや、自分は自分の描きたいものを、あまり誰の影響も受けず描きたいように描いているよ」という人もいるだろうが、それ自体が絵画の一つの定型の作り方だと言う事は、指摘しておきたい。

自分自身の選択が何に依って規定されているのか、それを客観視すること。自分の考えは自分が思う程主体的ではないこと。この2つを早めに知る事が、この行き詰まりを回避する方法である。行き詰まった時、間違っても、量を描いて解決しようとしてはいけない。まず今の行き詰まりが何に由来する物なのか、問題の構造を把握することを勧めたい。

作品を見て回る内にふと、「卒業制作展」だから出展してる人の大半はこの春から社会人になるのだろうか、と思った。就職したりするのだろうか。これだけ高いレベルの作品を作っていても、作品を販売して生計を立てる、というのは難しい事である。ならば就職して、会社の仕事をしながら、もしくはアルバイトをしながら制作を続けるということになるのだろうが、生活との折り合いがつかず、途中で制作を止めてしまう人が多い事も、私は経験的に知っている。

卒展の期間はこの三連休のみだったようで、行ったその日がたまたま最終日だった。こんな日くらい晴れていればいいのにと、冷たい雨が嫌いな私は思った。