DAISUKE MAEDA

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2020年8月の投稿一覧

本当の私、を誰も知らない その2

先週の夜、「あざとくて何がわるいの?」を見ていた。この番組はおもしろい。もはや「あざとい」をめぐるコントだ。あと1週間くらい見逃し配信が見れるようなのでぜひ見て欲しい。

様々なパターンの「あざとい」が出てくる中で、特に興味を引かれたのは女優•松本まりかさんのインスタライブであった。

https://twitter.com/i/status/1286880623114637312

まずは配信を開始するもずっとカメラを見つめるだけで約10分間無言である。この10分が酔っているのか、惚けているのか微妙な表情と雰囲気なのだ。こちらは何か見てはいけないものを見ている気になる。その後、唐突にベランダに出て一言「満月見る?」と発する。それだけの動画なのだが、無言の時間の表情や仕草によって(架空の)プライベートな親密さは醸成され、それがピークに達した瞬間に一言だけ満月見る?と発するのである。オチまでの間の取り方、構成がすばらしい。さすが女優さんである。完全にこの番組の構成作家がト書きを作ってインスタライブやったやろ!と指摘があってもおかしくない。

一般的に「あざとかわいい」はキャラであり、「私」が社会的役割を分担した一つの自己である。この番組のようにちょっとしたコントをやってるうちはいい。しかしさらに精緻にあざとかわいいを作り込んでいけば、それにつられ本人の言動は制約され、いつしか枷となる。言動にあらかじめ「正解」が決まっているからだ。

併せて指摘しておきたいのだが、インスタライブにはルールのみがあり、原理がない。「なぜそれを行うのか」は欠落している。だからハイスコアを求め、いかにあざといを演じるかがゲームとして成立する。ちなみにみんなに見て欲しいから、というのは理由にならない。なぜ「見せなければならないのか」が欠けていると言っているのである。

今では多くの人がインスタライブをはじめ、各種SNSでコンテンツを発信する。そこでは「あざとかわいい私」をよく目にする。それを「みんな」に向けた承認欲求の過大な現れだと指摘する声も多い。ちょっとしたコントをやっているうちはそうだろう。しかし、「あざとかわいい」をほぼメインのペルソナにしようと作り込もうとすると事情が変わる。深層的欲求は意図の有無を別に、具体的行為にあらわれる。インスタライブを観ている人は全て「彼ら/彼女ら」つまり三人称である。「私」が大勢の観客に向けて発信している訳だが、そこには「あなた」が欠けている。いかにあざといかハイスコアを競うゲームにあって、恐らく本当の欲求はスコアとは別にある。それは「本当の君はこんなことはしない」と「あなた」に言ってもらうことである。「私だけが、本当のあなたを知っている」あざといを巡るゲームは、この一言を言ってもらうための迂遠な表現なのだと思っている。