DAISUKE MAEDA

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カテゴリー "コンペ、展示関係"の投稿一覧

シェル美術賞展を観に行こう!前編

以前にも書きましたが、シェル美術賞で奨励賞を頂きました。東京では12/7から国立新美術館でシェル美術賞展がはじまってます。

シェル美術賞は今年でちょうど60周年、歴史のある公募展です。2000年以降もこのコンペをきっかけに国内外から注目され有名になったアーティストが何人かいらっしゃいます。一例をあげると大谷有花さん鈴木紗也香さん上田暁子さん、その中で個人的に面白いと思う作家さんは小野さおりさんなどでしょうか。しかし何といっても最も有名な世界的アーティストと言えば2001年に大賞をとった曽谷朝絵さんじゃないでしょうか。バスタブの絵が有名です。今回はこのコンペの審査員もされています。

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2001年当時の時代背景を説明しますと、村上隆さんや会田誠さんなどがサブカルチャーの言語を以って文化的にもアメリカの植民地から抜け出せない、またそのことにすら無自覚で自身の出自や歪みに対して言及できない日本の文化を嘲笑するようなコンセプチャルな作品が注目を集めていました。まだ学生だった私はその乾いたシニカルなスタンスに強く惹かれていました。それは暗に現代の日本の「絵画」を否定しているように思え、なぜかそれに憧れたのです。そんな私にまったく異なる「絵画」の強さと可能性を見せつけたのが曽谷さんの作品でした。「こんな絵を描く人がおるんか。。。」と思ったのを鮮烈に覚えています。その曽谷さんがレセプションにやってくる!ぜひお会いして話がしたい!と半ば興奮気味に東京に向かいました。

東京は何度訪れても都市の密度やお金の匂い、ソフトの相違に驚かされます。何か都市のOSが違うというか。。。そういえば東京都だけでG20であるサウジアラビアやインドネシアなんかと同じくらいの都内総生産が有ると聞いた事があります。今回は乃木坂駅から国立新美術館に入ろうとしたのですが、まさか駅直結だったとは。「美術館と駅がつながっとるってどういうことなん!めっちゃ便利!雨濡れへん!」と当日は快晴でしたが思わず呟きながら国立新美術館に入りました。

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国立新美術館は何度来てもその巨大で古めかしい出立が故・黒川紀章とモダニズムの墓標のように見えて仕方がありません。もっと他の案あったやろ。まさか殉死した乃木大将が元になっている地名を冠したアイドルまでいるポストモダンさえ通過したこの時代、その乃木坂にこんな思いっきりモダニズムな建築があるなんてどこか分裂症な気もします。修飾語だって複雑に入り組みます。

さて、レセプションは今回の大賞をとった小川直樹さんの完璧な受賞の挨拶とスピーチではじまりました。めちゃくちゃ上手かったのでその後にしゃべる私は正直ものすごく焦りました。作品の講評では曽谷さんも話をされ、一人で完結する事が出来る絵画は、作者と作品の間で交わされる戸惑いや解決、試行錯誤の後が透けて見える事がメディアとしての強みである、というような事をおっしゃっていました。確かに曽谷さんの作品にも、曽谷さんが審査員賞に選ばれた鈴木浩之さんの「無題」という作品にもそういった面は強く見て取れます。鈴木さんの作品は写真より圧倒的に実物の方が良いですよ。写真ではわかりませんが実物は絵具の下の層が透けて見えていたり、線に息づかいが感じ取れたりします。

レセプションの後は別フロアでやっている「DOMANI•明日展」の内覧会に入れていただくことができ、そこで出展されている曽谷さんと少しお話しさせていただくことが出来ました。一線で活躍されているアーティストの言葉は鋭く重みがあり、自分はもっと真剣に制作に向き合わないといけないと思わされました。プレスの対応でお忙しい中お話下さった事がうれしかったです。

しかし、私は我慢が効かず不躾にも言ってしまうのです。「サインください。。。」本当に失礼しました!けどうれしかったです!

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意外にも短いですが、シェル美術賞展は国立新美術館で19日までです!まだの方はぜひ大急ぎで観に行ってください!

 

シェル美術賞で審査員奨励賞を頂きました

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「夕立は馬の背を分ける」という作品でシェル美術賞2016、能勢陽子審査員奨励賞を頂きました。

展示は東京六本木の国立新美術館で12/7(水)〜12/19(月)です。開館時間等詳しくはこちらをご覧下さい。

12月10日(土)14:00〜15:30にアーティストトークも予定されています。お近くに来られる際はぜひお立ちより下さい。

 

絵を売りたい!ワンダーシード2016 結果編

いまさらですがワンダーシードで絵が売れました。

遅くなりましたが買ってくれた方、有難うございます。次回展示にもぜひお越しください。こうやってどなたかが作品を認めて、購入下さるということは作る方としましても励みになります。

やはり、東京は売れるのですね。SOLD OUTの文字が輝かしい。。。

販売終了

いや、大阪でも私が運営にかかわるギャラリー、チガーヌでは5月、6月の展示でそれぞれ何枚か売れました。すごいな!絵を売るのが難しいと言われる大阪でギャラリーとして機能しつつありますね。こちらもご購入下さった方、有難うございます。

ギャラリーオープン&展示のお知らせ

大阪は船場に新しくギャラリーがオープンします。そして私はその経営陣に名を連ねているのです。すごいな!

ギャラリーの名はチガーヌと言います。そのギャラリーを取り仕切るのは泉大くん。2008年のシェル美術賞で蔵屋美香さんの審査員賞を受賞したアーティストです。

ギャラリーとは言っていますが完全なホワイトキューブでは有りません。基本的に12:00~18:00はカフェ&ギャラリー、18:00~はジャズ&バーです。

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飲食メニューはこんな感じです

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今までもジャズバーとして営業していたので、完全に新規オープンという訳では有りません。ジャズバーだと18:00~の営業なので、昼の間全くお客さんが来ないという事で3月からカフェギャラリーとして運営がスタートです。

夜間のジャズバーは常連のお客さんも多く、ライブやセッションが行われています。夜の生演奏も良いですよ。夜のみ入場料+1ドリンクです。入場料はイベントに依って1000〜1500円くらいです。

ギャラリーの3月展示は「前田大介展」!船場ですのでお近くに来られた際はぜひお越し下さい!*火曜定休

https://www.facebook.com/GalerieTzigane/

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絵を売りたい!ワンダーシード2016 販売編

2月12日金曜日の夜10:00~、ワンダーシード2016はTAGBOATによるオンライン販売が始まっています。販売点数全84点、全ての作品が53×53cm以内、販売価格は3,000円〜40,000円までのサイズも価格もお手頃な展覧会です。実物を観てみたい、という方はトーキョーワンダーサイト渋谷で展示されていますのでぜひそちらに足をお運び下さい。

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さて、ワンダーシード2016ですがもう10年以上続いている割と歴史ある公募展です。タグボートも登場当時はオンラインで絵が売れるのか!?などと言われていましたが、というか主に我々絵を描く人達がそう言っていたのですが、設立からもうそろそろ10年が経つのではないでしょうか。オンラインで売れるのですね。

日本では絵が売れないとは良く言われますが、ワンダーシードはまだ売れてる印象が有ります。サイズも価格も手頃だからでしょう。先日の内覧会でも結構なペースで売約となっていってました。

ならば販売を担当しているタグボートにとって、毎年有るワンダーシードという企画は儲かるのか?そのあたりどうなのでしょう。

作品が売れた場合、売上の配分は作家6:タグボート4です。絵の平均価格23,000円(税抜)を前提で考えるとTAGBOATの販売コストと利益はざくっと下記のような感じでしょうか?

まず販売コストがWEBページの作成費用です。

スクリーンショット 2016-02-28 18.18.21のページ作成費が1万円、スクリーンショット 2016-02-28 18.19.17×84作品分のページ作成費(@1000円で計算)で8.4万円、あとは各作品の写真撮影と画像調整で10万円で計算します。小計19.4万円です。

次に絵が売れる毎の事務経費、発送経費を@1000円とします。

84点全て売約で売上195万円、粗利は78万円です。

全ての作品が売れれば(諸々のコストをかなり安く見積もってますが)50万円弱くらいがタグボートに残る計算でしょうか。もちろん、全て売れれば、という前提なので売れるのが半分の42点であれば大体15万円くらいが営業利益になる計算です。2月27日現在の売行は41点売約、ちょうど半分くらいです。

これを利益が出ていると見るか、出ていないと見るかは企業規模に依るでしょう。大企業なら「この数字じゃ利益とカウントしないよ。てか全然ケタが足りないよね?」でしょうし、社員数50人くらいの中小企業で「来年は売上増のために企画を練らないと…」となり、4〜5人の企業なら「何としてでも今の利益をキープしたい!」という風に変化します。

この事から察するに、タグボートももう少し売上と利益が欲しいなぁ、と思っているのではないかと思います。解決方法は二つしか有りません。

「販売単価を上げる」か「ニーズのある絵を販売する」かのどちらかです。単価を上げるには短期的には絵のサイズを大きくすると手っ取り早いです。15×20cmとか小さなサイズではなく規定の53×53cmに極力近い絵を作家に描いてもらう、という事です。大きくなると売れにくいけど。中、長期的にはセカンダリーマーケットを充実させ作品の経済的価値を担保させる方法が挙げられます。もしくは円安などの外的要因によってインフレ、または景気が良くなるのを待つか。黒田さんが頼りのまさに他力本願です。

「ニーズのある絵」というのは思わず部屋に飾りたくなるような綺麗でおしゃれな絵、という事です。利益は出るでしょうが、トコトコ歩いて来た本末がその辺で転倒するのを見る事になりかねません。

そもそもタグボート自体が「芸術、アート」が「市場経済」のほうに歩み寄った販売形態である以上、上記のようなジレンマを抱えざるを得ないのです。ある程度エスタブリッシュメントな「商品」を「文化って素敵よね」と言ってくださるより多くの人に届けようとすると必ずこのジレンマが顔を出します。「芸術、アート」の純度を高めれば絵が売れず、「利益を最大化」させようとすればニーズに迎合して表現が画一化してしまう。上からですいませんがタグボートはこの辺のバランスはまだ上手いような気もします。

このジレンマを避ける方法はただ一つです。販売制度の設計時点で「市場経済」のシステムを「芸術、アート」用に部分的にカスタマイズする事、つまり、「市場経済」のほうにもう少し「芸術、アート」側に歩み寄ってもらうのです。

「偉そうに講釈垂れんなら公募展なんか出すなや!」とか「何ゆっとんかわからん!」「そんなん言うなら自分の絵をタグボートで販売すんなや!」などと言う声が聞こえてきそうですね。

そこで。そこでです。アーティストが運営するギャラリー、大阪は船場にオープンです!まだホームページなど作りかけですが… HP:galerie-tzigane.com

オープンしょっぱなの展示はもちろん『前田大介展』です。

みなさま3月はぜひぜひ、東京ではワンダーシード2016、大阪ではギャラリーチガーヌにお越し下さい。

絵を売りたい!ワンダーシード2016 制作編

ワンダーシード2016に入選しました。来週2/13~3/20までトーキョーワンダーサイト渋谷にて展示販売されます。お近くの方はぜひご覧ください。

ワンダーシードは作品サイズが最大53×53cmまでと比較的小さく、またその作品を販売するという点で他の公募展とは異なります。入選したのは「風花」という作品です。

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私は小さなサイズの作品が苦手です。今までワンダーシードに何度か応募しましたが、上手く行きませんでした。私の場合、普段の作品を作っている方法論では小さなサイズには上手く馴染まないのです。

そこで、普段の作品とは完全にコンセプトやアプローチを切り離し、小さいサイズ用に全く別のコンセプトを立ち上げました。この作品は油彩のツヤの有る黒の背景につや消しの半透明の絵具を重ねることにより幻想的な雰囲気を作りだし、鑑賞者に対して割と感覚的な見方を許容する作品です。というかあまり小難しいコンセプトは作らず、開き直って完全にイメージ先行です。

写真では分かりにくいですが、作品のアップはこんな感じです。

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「風花」というタイトルの通り、積もった雪が舞っている(絵の中では舞ってないけど)イメージです。

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実際は背景は写真よりももっとツヤがあり、光っています。

「半透明の絵具」は今回の作品用に作りました。

蜜蝋(テレピンで溶かしておく)+アルミナホワイト(少量のテレピンで溶いておく、リンク先の下から3番目)+リンシード+チタニウムホワイト(市販のチューブの油絵具)を混ぜ合わして作ります。割合は4:4.8:0.8:0.4くらいでしょうか。絵具を盛り上げた部分はこんな感じです。

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蜜蝋は絵具に可塑性を与え、アルミナホワイトは体質顔料ですので乾性油で練ると半透明になります。アルミナホワイトだけだと透け過ぎなので少量のチタニウムホワイトで透明度を調整しました。

 

自分の中にあったイメージと質感を感覚で捉え直してキャンバスに落とし込むのに苦労した作品で習作2枚を費やしました。

これで販売価格¥30,000-は超バーゲンセール!!と自分では思うのですが、どんなもんでしょう?

興味のある方はぜひ展示会場のトーキョーワンダーサイト渋谷で、またはオンライン販売のTAGBOATをご覧ください。

 

展示のお知らせ LIFE LABO BLD その2

来月、2/16~21の期間、LIFE LABO BLDというスペースで展示が始まります。

前にも書きましたが、1Fがカレー屋さん、2Fがバー+展示スペースというお洒落スペースです。展示を見に来ていただいたついでにカレーを食べたり、お酒を飲んだりできるので、皆さまぜひお友達と一緒に見に来てください!

今回はDMもスペースに合わせてお洒落仕様なデザインです。

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展示のお知らせ LIFE LABO BLD

来年、2月16日〜 21日にLIFE LABO BLDという複合ビルの2Fで展示をさせていただきます。

このLIFE LABO BLDというのは1Fがワルンというカレー屋、2Fがフリースペース&バー、3Fがヘアサロンとういう構成になっています。

カレー屋さん美味しそうです。

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場所的には北堀江、長堀通りとあみだ池筋の交差点から一本入ったところ、といった感じの場所です。土地的にも空間的にもおしゃれスペースです。

展示スペースとバーが繋がってますので、夜はお酒を飲みながら絵を観る事も出来ます。

お近くに来られる事が有ればぜひ!

トーキョーワンダーウォールを観に行こう!後編

さまざまな作品が並ぶTWW2015入選作品展ですが、当然それぞれの作者の在籍・出身大学も異なります。各美術系の大学にはそれぞれの特色が有り、それぞれの出身者の作品にもそれは反映されているように感じます。大きく分ければ関東と関西でも色が違います。関東の方が少しコンセプチャルな要素が多いような気はしますし、京都や金沢だと伝統工芸がさかんですので素材や技法からの問題意識を感じる作品が多いと思います。

とりわけ伝統を重んじる金沢や京都にある美術系大学では、前回のブログで書いたような「軽い」表現に対しては教授陣から無言のプレッシャーがある、と聞くことが多々あります。マジか…日本画科とか特に教授めんどくさそうやな。そういえば東村アキコさんの自伝マンガ「かくかくしかじか」では金沢美大の油画の作品講評会の教授陣の怖さが描かれていました。

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さて、私の出身校、大阪芸大ではそのあたりどうだったでしょうか。基本、大芸の美術学科はあまり絵を描きません。美術学科なのに漫画を描く人、バンドをする人、演劇をする人。先生なのにゴルフの練習をする人、生徒とキャッチボールをして遊ぶ人。制作においては基本、高いハードルは飛べる高さにまで下げてから飛ぶ、逃げられるうちは逃げ回る、というのが基本スタンスです。まぁこちらは島本和彦さんの「アオイホノオ」そのままです。いや、でした。10年前までは。今はもっとちゃんとしているはずです。ちなみに美術学科の同期で有名人といえば、ザ50回転ズでしょうか。涙のスターダスト・トレインを聞いたときは泣きそうでした。

そんな環境で絵を描いていたので、「教授陣からの無言のプレッシャー」も「講評会の厳しい評価」もあまり想像ができません。

先生が生徒の描く絵の良し悪しを評価する―評価する側/される側の関係は常に非対称です。「評価」というものは常に非対称な形でしか成り立たないので、そのこと自体は別に問題ではないと思います。しかし、一方で評価する側は何を以ってその評価基準の正当性を担保しているのでしょうか。なぜ自らの判断、価値の評価の無謬を確信できるのか。

私は「表現」というものは例えば、3年間敷きっぱなしにしたフトン、3年の間には汗や湿気を吸いまくったであろうフトンを久々に片づけたら床とフトンに間にキノコが生えていて、その「キノコ」のように自然発生的なもの、土着的などうしようもない「何か」をそう呼ぶのだと思っています。それを「人間の業」とか「複雑化した現代社会」とかいう風に大げさに換言して、クリアなコンセプトを作り上げるところから日本の「現代美術」、もしくは「アート」の滑稽さは始まるのです。

その「キノコ」を初見の時点で「これは素晴らしいキノコだよ!」とか「全く無価値だね」とかいうことは誰にもできません。ある程度時間をかけて、調理法や利用法を探った上でようやく価値が定立するからです。食用にはならなくても、薬用にはなるかもしれない。猛毒かもしれない。これから一気に拡がっていくかもしれない。それと同じように表現においても「それがどれだけの価値なのか」ということは(その価値が大きければ大きいほど)同時代の人間にはきっと理解できず、ずいぶん後になって事態を俯瞰できるようになった時初めて可逆的な形でその価値に気付けるのではないのでしょうか。それはちょうど15年前、村上隆さんがあまりに鮮やかに2000年以前/以後を切り分けた瞬間のように。そして当時もそのことにすら多くの人が気付けず、否定的な意見もずいぶん多かったように記憶しています。

さて、前述の50回転ズですが20代の人に話すと「高校生の頃、めっちゃ聞いていました!!」と言われたりすることもあります。高校生の頃…時の流れは音速なのですね。当時彼らが手売りしていたサイン入りCDを今も持っています。そんな風に、自分の表現もまだ見ぬ誰かに届けばいいなと思っております。

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今回、色々と考えさせられた東京滞在でした。TWW2015は今月28日までです!まだの方はぜひ!

トーキョーワンダーウォールを観に行こう!中編

18時に閉館の現美、レセプションは18:15から受付です。ミュージアムショップにいたのですが、閉館の音楽が流れアナウンスでも「18:00閉館です」と重ねられ、同時に慌ただしくレセプション用のマイク、椅子の準備や食べ物が並べられていくのを見ると一度外に出た方がいいのかな?と思い外に出ました。

降っていた雨は小降りになっていたので、今のうちにコンビニへ行っておこうと歩き出した途端に豪雨…びしょびしょで美術館に戻り、中で待っていればよかったと後悔しました。

さて、始まった授賞式では審査員の方々が審査の感想を述べられました。審査員は石原慎太郎氏、大巻伸嗣氏、鴻池朋子氏、杉戸洋氏、丸山直文氏、山村浩二氏、今村有策氏です。多くが美術家として高い評価を得ている方々です。

石原氏「次の時代に、古典足りえるような作品を!」あついですねー。

鴻池氏「小粒な作品が多く、審査していてイライラしました!もっと身体全体を使って、デッサンをするように対象に迫っていく作品を!縮こまらずに目一杯遊んでおかないと表現なんて出来なくなりますよ!」こちらもあつい。ご自身の作品ともリンクしますね。

杉戸洋さんは会田誠さんに似てらっしゃいますね。最初お見かけしたとき、会田さんは髪を切ったのか?と思いました。

パーティでは他の入選者の方とお話することが出来ました。20代の人や大学生の人との会話は視点やバックボーンの違いから参考になる点が多々あります。そんな話の中で、最近20代の人達は大学の先生から表現がどんどん「軽く」なっていると指摘されると言っていました。この文脈の「軽く」には「軽薄」というニュアンスが含まれていたように思います。そういえば「リアル・アノニマス・デザイン」という本の中で川崎和夫さんという方がデザインが軽薄なプロダクトについて言及されていて、そういった表現が増えてきているのが「気がかりだ」と書かれていました。表現が「軽く」なっているのは他ジャンルでも見られる傾向のようです。他にも「カワイイパラダイムデザイン研究」という本では真壁智治氏が、本来緊張感が有るはずの大学の建築の作品講評会で生徒が建築について語る際、「かわいい」という言葉を多用すると書いてました。「作品の説明がかわいいを核にして全体的にコトバが軽くなったのである。」(カワイイパラダイムデザイン研究よりの引用)軽いなぁ。しかし、こちらは前述の川崎氏と違い、それが何を意味するのか客観的に分析した上で研究テーマとしてその変化を有る程度肯定的に捉えていたように思います。興味のある方はご一読を。

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TWW2015の入選作品を観た私の意見は、最近の絵画は表現が「軽薄」なのではなく、どんどん「軽妙」になってきている、というものです。もっと肯定的な評価を与えられて然るべきだと思います。かわいい作品も多かったですよ。(*ちなみに、別に今回審査員の方から「作品が軽い!」という発言があった訳ではありません。文章の順序で分かりづらいかと思い、念のため補足を。)

50代、60代の方々が「だーかーらー!!こういう表現じゃなくてさぁ!!!もっとこう、さぁ!!」というのも分からなくはないですが時代は変わったのです。石原氏の言うような次の時代の「ニュースタンダードな作品」像も、今までのような特定の基準の中で高水準な「大振りな作品」の価値も、すべて近代という時代の残滓であって、およそ「現代」では機能しないものなのではないでしょうか。もはや「歴史」は単線的に一方向には進まないのです。(そんな事を書くと「そもそも公募展に出品すんなよ!」と言われてしまいそうですが…)

もっと言うなら、「現代」の日本に、重々しく取り扱わないといけない問題などあるのでしょうか?例えば内戦をしている国から逃れてきたアーティストが、逃げてきた時に持っていた家財道具一式をギャラリースペースに作品として展示する、とかなら「重さ」もあるのでしょう。(川俣正さんの著作でそういったアーティストが紹介されていました。)前回書いたヴァンディ・ラッタナのような作家なら軽い作品は作れないでしょう。そういった生死に向き合わざるを得ないアーティストに比べ、日常生活であまり生死を感じることのない日本人の言う「重さ」とはなんでしょうか?

美術が体系的である時代はとうに過ぎ、言語による思考では捉えきれない対象は増大しました。大体において、時代のターニングポイントは、無言で我々の真横を通り過ぎているのです。誰かがそれに気付いた時にはもう、「価値」や「意味」はそれまでとがらりと姿を変えているものなのだなと思ったTWWでした。