DAISUKE MAEDA

/blog/CATEGORY

カテゴリー "雑記、軽い話"の投稿一覧

百年の孤独 前編

最近特に思うのだが、時間の流れが速すぎて日々の生活に着いて行けない。毎日が単調だからかもしれないが、何とかその危機感があるうちに時間に対しての概念に新しいグリッドを差し込んでおかないと、気がつけばおじいさんになっている、という事にもなりかねない。

とりあえず、自分の持っている時間軸をもう少し俯瞰した状態で見れる視点を設定する事から始めてみたい。我々の世代の寿命は、長い人で100年だそうなのでまずその単位での変化を想像し、日常よりもマクロな視点で時間を眺めてみようというのである。といっても100年先の未来は想像の仕様がない。そこで100年前の日本の状況から今までの変化を見てみようと思うのだ。

ちょうどタイミング良く、約100年前の出来事を描いた本を読んでいる。吉村昭著「羆嵐」である。北海道の開拓民の、まだ歴史の浅い集落が、冬眠し損ねた「穴持たず」の羆に襲われた事実を元に構成し直した長編で、大正3年の出来事である。

え、100年前ってまだ北海道は開拓中やったん…というのがまず最初である。開拓は江戸時代や明治の時代の話で、大正にもなると正直広大な農作地や牧歌的な酪農のイメージであったが、どうも違うらしい。いや羆が集落に現れるのにも大分驚いたけど。

その集落ではどのような家に住んでいたのだろうか。北海道は雪深い。嘸かし雪や外気に対して知恵や工夫が凝らされた家だと誰でも思うではないか。

「男たちの手で家づくりがはじめられた。帝室林野管理室の許可を得て山林から材木が切り出され、それを蔓で組み立て、周囲を草でかこんで樹皮の屋根をふいた。が、家といっても出入り口と窓に蓆を垂らし、床にイナキビ殻や笹を敷き詰めた粗末な小舎にすぎなかった。」

「限界デザイン(三宅理一、TOTO出版)」という本を読んだ事がある。人は究極においてどのような家に住むのか、住宅における生存の為の限界デザインとは何か、という事に論及した本である。前者は内戦や災害に見舞われた人、後者は南極や砂漠のような極端な環境下において、住宅はどのような形を取り得るのか、実例を挙げながら論じられている良書である。しかし、上記の北海道の集落はその限界デザインを軽々割り込んだ。厳寒地で出入り口や窓にムシロしかないってそら水こぼしただけで凍るやろ!と思った。

「出入口や窓の蓆をひるがえして雪まじりの寒風が絶えず吹き込み、鍋に残った雑炊は凍り、濡れた床には氷が張った。」

やっぱりか。そしてその集落を悩ませたのは雪だけではないようだ。

「四月に村落をおおっていた雪が融けはじめるが、地表が露出した頃からアブ、蚊の発生がみられ、それは十一月初旬の初雪が舞う頃まで姿を消さない。(中略)その激しさに、人々は、眼の部分に蚊帳布をたらした布袋を頭からかぶって耕作したが、馬はアブと蚊に体をおおわれて狂ったように暴れまわり、使用をしばしば断念しなければならなかった。(中略)小さな糠蚊が大量発生し、あたり一帯が白くかすんだ。それらは、露出した皮膚に糠をまぶしたように附着し、人々は激しい痒痛におそわれ、中には高熱を発して苦しむ者もいた。」

凄まじすぎる。「限界デザイン」の中にもここまで過酷な状況を想定した例は出てこなかった。しかし、差し迫った問題として、彼らは生きねばならないのだ。

昔の方々の忍耐と真面目さには本当に頭が下がる。しかし、これは政府の移民奨励政策だった訳だから、政府の重大な人権軽視でもある。政府は事前調査をしっかりやるべきだったといっても当時はそんな時代ではない事に、100年の月日の厚みを感じる。

結局、虫が原因で彼らはその土地を捨て、近くの六線沢というところに新たに集落を作る。

芸術やアートなど全く出番のない過酷な時代、土地である。もし絵を描いている者がその集落にいれば、早よ畑耕せや!!と家族全員から殴る蹴るの指導、教育を受けたことだろう。いや、凄まじい時代に来てしまった。しかし驚く事に彼らは、六線沢で毎年少しずつ増える収穫や、苦楽をともにした周りの人々との交流に、幸せを感じ、割と楽しそうにする場面も作中描かれているのである。私は現代の価値観に毒されているのかもしれない、そんな事を思いながら、本格的に羆が登場する次回へ続くのである。

 

 

スフレを食べよう

帰還不能点。「もはや後戻りできない段階」の事である。

先日、私は珍しく映画を観ていた。といってもBSでやってたのを途中から、30 分くらいだけだ。恋愛映画だったが、主人公の女性は恋人のわずかな変化に気付かず、些細な行き違いから関係は一気に崩れてしまう。何度か、修復出来る機会はあったようだ。しかし、彼女らはそれに気付かず、訪れた別れの場面からはもう、幸せだったあの頃へは戻れない。

過日、戻れない場所を思いながら、女性は言うのだ。「あの時の彼に、なんと言葉をかけたら良かったのだろう。」

ふむ。なんか心が痛い。そんな帰還不能な場面を観てしまった時はスフレを作ろう。バニラの香り高い「スフレ・サクソン・ア・ラ・バニーユ」がお勧めだ。レシピはこちらである。

「なんで唐突にスフレなん?」そう思われるだろう。スフレとは、焼き上がり後わずか数十秒でしぼんでしまう繊細なお菓子だ。スフレが熱いうちに中央に穴をあけ、冷たいソースを注いで、熱いスフレと混ぜながら食べる、タイミングが大事なお菓子である。タイミングを逃し、しぼんでしまうと美味しくない。「映画のあの場面が、2人が元に戻れるかの分岐点やったんやなあ」とか「なんて言葉をかけるのが正解やったんやろう?」とか考えながら、しぼむ前に食べるのだ。

とは言え、映画であればどこが分岐点になっていたか、すっきり整理されているので分かり易い。スフレであればなおの事、「しぼむ前」が美味しく食べられるかの分岐点だ。

しかし、現実の恋人や夫婦であればどうだろう。映画やスフレほど「分岐点」ははっきりしない。どの言葉が、どういった振る舞いが分岐点となり、互いの心が離れていくかその時は分からない。

おそらく、「分岐点」とは我々が結末を得て、遡及的な形で、過去のある地点に定立される物なのだ。目の前を過ぎ行くときはまだ「分岐点」では無いのである。結末を得た時、ああ、あの出来事が「分岐点」だったのだな、とあたかもそこに元からあったように立ち現れるのだ。この一種の転回を含んだ見方が私は好きである。

考えてみて欲しい。スフレだって、しぼむ事を知らされず供されれば、「何じゃこれ!しぼんでもうたがな!!これ最初にゆうといてえな!」となるだろう。結末を知っているから、しぼむ前に食べるのだ。という事は、映画の彼女が見つけられらない「かけるべき言葉」も同じ理由で、結末と対である。望む結末を得られなかった以上、「かけるべき言葉」も当然空位なはずなのだ。

…まあ、私が何を言ったって、かけるべき言葉の正解は「愛してる」以外になかっただろうけど。

 

美術史が停滞している その2

前回からの続き

さて、席次表である。私はデザイナーに倣い、条件を整理する事にした。まずクライアントである愚弟の要望を聞かないといけない。聞いてみたところ、「サイズはA2、春らしい雰囲気で」と告げられた。

そもそも席次表はご出席頂いた皆様全員に配るもの、というイメージが強かった私は、弟の言う大きなサイズの席次表、という物はいまいちしっくり来なかった。そこで、愚弟の思い描いているものからかけ離れてもまずい、と思い、参考になるようなイメージ、画像を送ってくれるよう依頼した。それがこれである。

スクリーンショット 2019-03-27 21.32.45

小さすぎて字が読めない。かつイメージを伝える気持ちが全く感じられない。なめられている。これは換言すると「なんか適当にいい感じのもの作っといてな!」ということだろうか。全く気は進まないが期日が迫る。兎に角当たり障りのないラフイメージを作り送った。(実際は名前が入っているが)それがこれである。

スクリーンショット 2019-03-27 21.29.40

我ながらもう少し何とかならなかったのだろうか。

残念ながら何ともならない。しかし全力は尽くした。そもそもイラレが何年使っても上手くならない。加えて、こういうものを作っている時いつも思うのだが、私の作る物は二昔ほど古い気がする。

それらの雑念を何とか無視しながら、デザイン(のようなもの)に取り組んでいた私はここで一つ引っかかる事が出て来た。A2って小ちゃくない?と思ったのだ。会場がどれくらいの大きさか知らないが、ご列席の皆様は字が見えるのだろうか?文字の大きさは5〜6mmである。読めるわけないやんけ。そう思った私はもう勝手にA1にサイズを変えた。

そしてそれとは別に、もう一つの懸案事項であるデザインの不味さを何かで埋めなければならない。しかしそれは原理的には埋める事など出来ない欠落である。不味いデザインはどうやったって不味いのである。このまま普通に出力しただけでは間が保たない。しかし何とかしなければならない。だって慶事である。私はある奇策に出た。半立体にしよう、と唐突に思いついた。工芸的な要素を足せば、手数が増えれば、少しは間が保つかもしれない。今振り返れば間抜けな考えである。日本人はすぐ技巧に逃げる。そして出来上がったのがこれである。

スクリーンショット 2019-04-20 18.13.24

追いつめられた人間とはおかしな物で、イラレでデータを作っている時は、自動のカッティングマシンでパーツを切り出すつもりでいた。データが出来上がってから、カッティングマシンなんてこの部屋のどこにあるんや!!と気付き、カッターナイフを1本握りしめたのである。

もう少しかわいい物を作れば良かった、と反省している。しかし、作っている時は、形状や色の検証まで手が回らない。カッター1本では作業効率があまりにも悪い。いや、このカチっとした雰囲気は、愚弟の年齢や職業、性格、会場をもとに決定したのだ、いわゆるペルソナに準じた結果だ、と自らに言い聞かせてつくった。

そしてとりあえず完成させ、送った。間に合った。これで良かったのだろうか?やはりもっとかわいく作ったほうが良かったと完成してから後悔する。このような拗れた自意識も、私がデザイナーに向いていない点だろう。とにかくおめでとう。暖かい家庭を築いてもらえれば、もはや出来ないデザインをさせた事は何も言うまい。

ところで、私が盛大に時間と気力をかけ席次表を作っている間、美術関係の友人、知人には様々動きがあった。3月のこの時期、大きな公募展やアートフェアが行われるのだが、まずは公募展である。「岡本太郎現代芸術賞」では國久真有さんが特別賞を受賞し、「FACE2019損保ジャパン日本興亜美術賞」では奥田文子さんが優秀賞を受賞した。私は國久さんの「よかったら見に来てね!」の連絡に文字を打つ指をふるわせながら「観に行きます」と返信し、奥田さんには同じく震える指で「おめでとうございます」と送った。

さらに、たまたま立ち読みした「アートの値段」と題されたPenでは、京都のアートフェア「ARTISTS’ FAIR KYOTO 2019」が特集されており、黒宮菜々さん、石原梓さん、香月美菜さんの作品が載っていた。思わず、「おれのとこにも取材来いよ!」と心の中で絶叫したが、席次表を作っている男のところに取材は来ない。もちろん賞ももらえない。

ようやくタイトルの回収である。私が絵を描かない限り、美術史が停滞する。大きく出た。もちろん私抜きでも勝手に優れた作品は見出され、美術史は紡がれるのだが、なんか少しでも関わって「アート」なるものに影響を与えたいのだ。なぜなら本来の私は、◯◯賞をとったよ、とかアートフェアに出品するので良かったら見に来てね、とか言う方の人間なのである。前述の才能ある方々に一歩もひけを取らないはずである。いや、言い過ぎた。さすがに黒宮菜菜さんには一歩劣るかもしれない。

上手く言えないけれど、ジョッキで煮え湯を飲まされ続けながら慶事に参加したような、うれしいのだけれどとにかく悔しい3月であった。

美術史が停滞している その1

*大げさなタイトルだが、今回の内容はほとんどは私のグチである。だから本当に時間を持て余してどうしようもない人だけお読み頂きたい。

弟が結婚する。それ自体はおめでたい事である。両家の顔合わせや挨拶も恙無く進み、後は結婚式だけである。兄としてはうれしい限りである。季節は春に向い、少しずつ暖かくなっていく。穏やかな春は物事の始まりを予感させる季節でもある。そんな時期に、ついに弟も家族を持つのかと思うと感慨深いものがある。

しかし、ここで私に思ってもみない、重大すぎる問題が勃発する。いや、「思ってもみない」と言えば嘘になる。心のどこかで危機感を感じていたが、気付かないふりをしていたのだ。もしかしたら美術系の大学出身、在籍の方にはよくある事かもしれない。

俗に言う、「◯ ◯作って」問題である。これは特に結婚式関係で多い。

「ウエルカムボードをな、作って欲しいねん!」とか「メッセージカードをデザインしてほしいねん!」とか、何故か美術系、というだけで周りから言われることが多い。今回私が受ける依頼は「席次表」だそうで、それは一枚一枚配るという物ではなく、お越し頂いた皆様全員がそれを見る大きな物を私が1つ作り、それを会場に設置するということらしい。それを告げられた時、私は曖昧なつくり笑顔を浮かべながら、何とか断れないかと必死に考えていた。

「断らんとそれくらい作ったれや!」と思う方も多いだろう。何を言っても慶事である。出来るなら、私も快く引き受けたい。しかし。

もし、これを読んでいるあなたのご家族、友達に藝大美大の人が居たとして、この手のものを頼みたいと思っているのなら、まずはその人の所属学科を確認すべきである。その人が「美術学科」なのか、「デザイン学科」なのかは、この問題において非常に重要である。

なぜなら美術学科に属する人の多くは、デザインが出来ない。意外かもしれないが、事実である。

私は美術学科出身である。もちろん私も出来ない。なぜなら美術学科は「絵」を描く学科だからである。

「絵画」も「デザイン」も似たようなものじゃないん?と思う人も多い。本当に多い。しかしこれはあの有名な将棋マンガ、「3月のライオン」と「月下の棋士」くらい違う。

スクリーンショット 2019-02-23 22.45.363gスクリーンショット 2019-02-23 22.58.53ex-image.php

この2つのマンガを読んで知っている人なら、将棋がテーマってだけで全然ちゃうやん!別物やん!と思う事だろう。そう、絵画とデザインは基本別物である。

もう少し例を出せば、数学と物理、野球と水球、麻雀とドンジャラくらい違う。そもそもルールそのものが異なる、全く別のものなのだ。全く関係ないが、私は哭きの竜も好きである。能條純一のファンなのだ。

私は折に触れ、「美術」と「デザイン」の違いを周囲には出来るだけ丁寧に伝えてきた。しかし全く伝わっていなかった。しかも家族に。

こういう不幸を連鎖させない為にも、ここで「絵画」と「デザイン」の作り方の差をはっきりさせたい。本来は中学校や高校で、この程度の差は理解できるようにカリキュラムが組まれるべきだが、「図画工作」や「美術」で一つに括ってしまう学校では、本当に表面的な事しか教わらない。きっと教師も分かってないことすら分かっていない。

「車」を例にとって説明しよう。

車をデザインしたい時、まず決めなければならないのは「何に使われるか」という部分である。いっぱい荷物を乗せて配達に使いたいのに、荷室が小さければ使用目的と合わない。目的に合致するように、車自体を大きくし、荷物を積めるスペースを確保しなければならない。また、荷室を広く効率よく使用する為には、車高は高く、見た目は四角くなっていく。

スクリーンショット 2019-02-23 23.15.01スクリーンショット 2019-02-24 22.01.34

反対に、カーレースで使うような速い車の場合は、コーナーで姿勢を安定させるために車高は低く、空気をスムーズに受け流すため、外見は滑らかになっていく。

pic_styling_gallery_03スクリーンショット 2019-02-24 22.03.09

ここで重要なのは、デザインは物理法則を無視出来ないので、「荷物は一杯積めるけど、めっちゃ速く走れる車」は作る事は出来ない。論理パズルが上手く組み上がらないのである。考えればすぐ分かるが、荷物を一杯積んで高速コーナーに突っ込めば横転するのみである。

da0d29df-s

逆に、「絵画」であれば、車の使用目的なんか気にする必要はない。荷物が一杯詰めて、めっちゃ速く走れる車だって「絵」にするのは簡単である。空だって飛べるし、なんなら光速も超える。そんなの作者の設定次第である。

「デザイン」はどうやっても現実とのリンクを外せないが、「絵画」は簡単に現実と切り離せる。もっと言えば、「デザイン」にはクライアントが居て、目的があり、予算内でその目的を達成する必要があるのだ。先述の配達車が、荷物は一杯積めるけど、車の価格が4000万だったら、とてもじゃないがペイ出来ない。その為に、デザイナーはまず前提条件を整理する。車の例でいうと、どれくらいの市場規模で、競合商品にはどういった物があるか、ターゲットはどういう層になるか、そういった部分を整理していくのである。ちなみにその商品やサービスを利用するもっとも典型的なユーザー像をペルソナと呼び、詳細なペルソナを設定した上でデザインは行われる。それは性別や年齢はもちろんの事、職業や性格、果ては家族構成や収入まで設定し、デザインは設計されていくのである。

話が大きくなった。席次表の話である。あくまで絵画が専門の私が、どれだけの苦行のもとデザインに似ているが決定的に違う何か、を行い、席次表を制作したのか。それは次回に続くのである。

冷たい雨はいや

この三連休は色々と用事があり、京都へ行った。

京都へ行ったついでに、ふと思い立ち、京都市立芸術大学の卒業制作展にも足を伸ばしてみた。どこかの美術系の大学の卒業制作展に行くのは、恐らく14、15年振りで、学生の時でさえ私はほとんど他校の卒制には行ったことがなかった。

640e4532ea7ba361368d043f1b2d4bb5

にも関わらず、久々に、久々すぎるが卒制なるものに行こう、と思い立ったのは2つ程理由があって、1つは、今や有名人になりつつある日本画の井上舞さんが、今年で大学院を卒業だと言っていたのを思い出したこと、もう1つは、今の20代の人はどんな作品を描くのだろう、という好奇心が、少し前から私の中に燻っていた事、が挙げられる。20代前半の人の作品を見る機会がほとんど無くなってしまった私は、一度まとめて若い人の作るものを観て、現状の「絵画」を定点観測しておく必要があるなぁ、と最近思っていたのである。

バスに迷いながら、大阪で暮らす私にとっては京都のバスは分かりにくくて、ほんとに迷いながら何とか雨の京都市立芸大に到着した。

スクリーンショット 2019-02-12 21.34.49

ちなみに京都のバス路線図は、このくらいの大きさだとどうなっているのか分からんくらいの集積度である。旅行者には優しくない。

あまり時間もなかったので、絵画を中心に観てまわったのだが、出展されている作品は、皆とても作品としての完成度が高く、上手かった。

四回生とか大学院生の作品になってくると、油画も日本画もテーマやコンセプトもしっかり練れている物が多く、見応えがあり、その心象が影響するのか、廊下ですれ違う学生の顔つきもみんな大人びて見えたし、お客さんに自分の作品の説明をする話し方もとてもしっかりしていた。私がこのくらいの年頃の時は、いつも半分口を開きながら歩いていて、担当の先生には「お前もうちょいしっかり作品の説明せえや。。。」と言われることも多かったが、その時も、半分口が開いたままだったのでほとんど気にもしなかった。全く違う場所、学校なのに、当時の事をつい思い出してしまう。

とはいえ唯一つ、今回の卒制展で気になった点といえば、それぞれの作品のタイトルだろうか。具体的な言及はあえて避けるが、作品のタイトルがどこかで見聞きしたような物が多く、それは暗に、作る側の「絵画とは、こういうものである」という固定観念を示唆してはいないだろうか。

作品とタイトルは無関係ではいられない。そもそも、無関係であれば作品のタイトルとして成立しない。タイトルがどこかの美術館やギャラリーで見た先行世代の作品と、同じ語彙、文法の範疇でつけられているのであれば、必然、絵画の内容や形式もそれらと相似形をとっている事は多い。それほど絵画と言語は結びつきが強いのだ。

言語によって、自身の中で未分化な私/絵画を分節し、絵画にするべくキャンバスにアウトプットする。それは観念に受肉させる行為だ、と言い換えてもいい。絵画とは、言語とは別の仕方の世界の分節の方法だ、と私は思っている。しかし、前述の固定観念が強ければ、筆の運びや画面の処理、構図、色の選択が無意識に縛られ、見た目の差異だけを同語反復的に作り出しかねない。そうなると制作は早晩行き詰まる。「いや、自分は自分の描きたいものを、あまり誰の影響も受けず描きたいように描いているよ」という人もいるだろうが、それ自体が絵画の一つの定型の作り方だと言う事は、指摘しておきたい。

自分自身の選択が何に依って規定されているのか、それを客観視すること。自分の考えは自分が思う程主体的ではないこと。この2つを早めに知る事が、この行き詰まりを回避する方法である。行き詰まった時、間違っても、量を描いて解決しようとしてはいけない。まず今の行き詰まりが何に由来する物なのか、問題の構造を把握することを勧めたい。

作品を見て回る内にふと、「卒業制作展」だから出展してる人の大半はこの春から社会人になるのだろうか、と思った。就職したりするのだろうか。これだけ高いレベルの作品を作っていても、作品を販売して生計を立てる、というのは難しい事である。ならば就職して、会社の仕事をしながら、もしくはアルバイトをしながら制作を続けるということになるのだろうが、生活との折り合いがつかず、途中で制作を止めてしまう人が多い事も、私は経験的に知っている。

卒展の期間はこの三連休のみだったようで、行ったその日がたまたま最終日だった。こんな日くらい晴れていればいいのにと、冷たい雨が嫌いな私は思った。

 

 

めっちゃどうでもいいはなし まとめ編

前回前々回と、私の身の回りで起こった出来事を標準語と大阪弁の両方で記述してみた。私としてはどちらのバージョンも真実に思え、しかしどちらも何かを捉え損ねている、と思うのだが、こうして比較してみると二つの話は意味合いや登場人物の関係性が全然異なる。

前から気になってはいたが、大阪弁は真面目な話をするのに向いていないような気がする。その独特のテンポ、間が、ボケとツッコミを前提にしていて、どうにも真面目な話が出来ない。

対して、標準語のテンポは笑い話には向いておらず、どう作っても真面目な雰囲気になる。

同じストーリーでも大阪弁で語るのと、標準語で語るのでは、キャラクター造形や話全体、行間の意味合いが変わってしまう。

日本語の中でもこれだけニュアンスが異なるのだから、日本語と外国語の間にはさぞ訳しにくいニュアンス、概念があるのだろう。言語とは、当然その言語圏の生活と密接に関係し、それらを価値観ごと詳細に映し出す鏡である。

以前、ウィリアム・ギブスンの「ニューロマンサー」を読んだ時のことである。この作品は、猥雑で退廃的な近未来(1984年当時から見て、であるが)的な世界観の中、主人公たちが、マトリックスと呼ばれる電脳空間で最も危険なコンピュータ複合体をハックする、というアンダーグランドなあれこれを描いた物語なのだが、この中にディクシー・フラットラインなるハッカーが登場する。彼が「フラットライン」と渾名される理由は、かつて電脳空間に没入(ジャック・イン)した際、脳波が水平(フラットライン)になった、つまり脳死したように見えたけど生きて帰ってきた、という中々かっこいいものである。しかし、このかっこいいフラットライン氏、西部出身で訛りがある、という設定のせいで、訳者である黒丸尚に「おら」という一人称を充てがわれているのである。しかも「フラットライン」の渾名の理由を説明される場面で、あろうことか「おら、おっ死んだ。」というセリフを吐かされているのである。凄腕のハッカーであるフラットライン氏はそんなセリフ死んでも言わない。そんなセリフを言うのは日本昔話に出てくるクワを担いだ農民の「ふらっとらいんどん」である。

また、退廃した世界観の中、主人公のケイス含め麻薬中毒者が複数出てくるのだが、私としてはケイスがトリップする場面は、映画トレインスポッティングに出てくる若かりし日のユアン・マクレガーの、ヘロインで恍惚の表情を浮かべる場面で再生したいのだが、黒丸尚の湿気た奇妙な文体のせいで、それは「仁義なき闘い」の、四畳半の畳の上でステテコに腹巻きのチンピラがヒロポンを打ち、「あ゛あ゛ァーーー!!」と叫んでいる場面になってしまう。

かように、言語は意味やイメージ、生活習慣と深く結びつき、深層から我々の行動を規定する。

私は生まれてからずっと大阪弁で話しているので、もう真面目に物を考えることができないのではないかと思う。ネイティブな大阪弁の私はもはや身の回りで起こった出来事さえ、笑い話調でしか書き起こせない。

アート、もしくは美術は言語と密接な関係がある。しかしアートも美術も元はと言えばヨーロッパからの訳語、輸入の概念である。一人称が「おら」と訳されてない保証はない。しかも私は、大阪弁でしか世界を記述できないが、世界を記述するには大阪弁では不十分なのだ。そうだとすれば、私の「美術」に出来ることは、アメリカ、ヨーロッパの「Art」の文脈で作品を組み立てるのではなく、「今、ここ」のドメスティックな時代の体温を切り取ること以外に無いのかもしれない。

 

 

 

お前が死体になる前に その3

前回前々回と学生の時から付き合いのある、死体を描く「画家」笹山直規がVOCA展に出品することに対して色々書いてきた。特に前回の批評文は我ながら核心をついているな、と自画自賛である。今回は、今までの文章で、あまり触れる事が出来なかったVOCA展について、それがどういった展覧会であるのか、また我々制作側の人間がVOCA展をどう思っているのか、その辺りに触れてまとめとしたい。

VOCA展とは第一生命がスポンサーになり、40歳以下の有望な作家を美術評論家、学芸員や美術ライターが推薦し、展覧会をする、という、若手作家の登竜門というか、まあ詳しくはリンクを貼っておくのでそちらを参照して頂きたい展覧会である。

おざなりな紹介になってしまった。というのも、後に世界的な活躍をみせる作家を数多く輩出してきた展覧会であるが、その割に実は我々制作者の間ではすこぶる評判が悪いのだ。

理由は(私の考えでは)主に2つある。

1つは、選考の基準、作品のレベルがバラバラであるという事が挙げられる。毎年発行されるVOCA展のカタログには、推薦者の推薦文(推薦理由?)が作品と併せて掲載されるのだが、美術ライターや地方の美術館学芸員などの推薦文、推薦理由がう○こみたいなものが多い。読んでいて馬鹿じゃない?というか美術なめてんな?と思うような推薦文も少なくないのだ。いや本当に。特にこの作家を推薦しないといけない、世間に広く知らしめたい、という使命感と必然性が弱く、お前本当に必死になって推薦すべき作家を探したのかよ、と制作者側は少なからず思っている。もちろん、いい意味でこちらが思いもよらなかったすごい視点で作家を推薦している人もいるが、そういう人は著名な美術評論家であったり、世情に疎い私でも知っているような研究者、学芸員であったりする。また、(これは偏見だと言われれば認めるし、謝罪もするが)推薦者は中高年の男性であることが多く、それ故古い価値観で絵画を語ったり、下心丸出しで若い女性作家を推薦してたりして我々制作者側をさらにイライラさせるのだ。

2つめは、これは難しい問題かもしれない。VOCA展における作品の評価基準が、概ねモダニズム的な絵画論で貫かれていることである。これはVOCA展の選考委員の中心人物である「高階秀爾(大原美術館館長)、酒井忠康(世田谷美術館館長)、建畠晢(京都市立芸術大学学長)、本江邦夫(多摩美術大学教授)の4氏の批評的立場が、絵画の本質を絵画によって追求するモダニズム絵画論に依拠していること」(現代美術用語辞典Ver.2.0−福住廉 より引用)が理由で、全体的にその傾向が強く出ているように思われる。余談だが、この福住氏の「絵画の本質を絵画によって追求するモダニズム絵画論」という表現は本質を突いていると思う。それはどう考えてもトートロジーな自己言及であり、暗にモダニズム的な絵画論の限界を示唆している。

現代の絵画はこのモダニズム的な枠組みには収まりきらないほど多様な展開を見せる。にも関わらず、VOCA展ではこの枠組みから外れた絵画を制作する作家は評価を受けにくい。その辺りも制作者側のフラストレーションが溜まる理由の一つであろう。平たく言えば保守的なのかもしれない。

「モダニズム的な絵画論」は概ねその歴史的役割を終えたようにも思われる。趣旨がずれるので、その辺りの議論、検証には詳細に踏み込まないが、恐らくこの意見はマイノリティなものでは無いはずである。

では、笹山直規の作品はどうであろうか。どうであろうかも何も、思いっきり「モダニズム的な絵画論」の枠組みからは外れる。というかオーソドックスなモダニズム的な絵画を会田誠氏は評価しない(前回参照)だろう。VOCA展は概ねオーソドックスな(モダニズム的な)絵画感で評価されるが、推薦者を毎年入れ替えるだけあって、その枠組みから外れた作品も散見される。

前回も書いた通り、笹山の作品は中身が無く、歴史的な視点も皆無である。その時点でモダニズムとはほど遠い。しかし、それらの変わりに、今、ここ、でしか得る事の出来ないドメスティックな時代の体温=生を逆説的に浮かび上がらせており、それは意図せずゼロ年代の倦怠感のある膿んだ時代性を上手く切り取っていた。その意味で、ゼロ年代独特のリアリティがあった。しかし現在は2018年である。それらの言説が未だ有用なのか、それとも推薦者である成相氏は全く別の文脈で批評を展開するのか。

笹山は「あなたの大事な人がこんな絵のような死体にならないように、保険は第一生命!ってだめかな?」とか言っていたが、勿論だめである。てかお前何年か前までVOCA展の推薦を受ける事は作家として死刑宣告に等しい!って言うてたやんけ。

それくらいVOCA展は、絵画における様々な矛盾を内包し、なぜかその矛盾の隙間から世界的作家を輩出する、という、制作側にとって何とも捉えがたい展覧会なのである。

お前が死体になる前に その1

「穢れ」や「不浄」といった観念は、程度に差こそあれ、多くの文化に存在する。特に日本では、古来から続く因習の中に未だ見られ、我々の感覚を無意識の深層から規定する。通常、「穢れ」は共同体に不吉な異常をもたらすものとして忌避される。

そんな「忌避される」ものの中で、最も端的で象徴的なもの、それは「死」であろう。

画家の笹山直規は「死体」をモチーフに絵画を描く。この日本で、特に忌み嫌われる「死」を作品のテーマに据えたのだ。彼の作品は凄惨で、ビジュアル的にショッキングであると言われる事が多いので(私見ではそうは思わないが)あえてここに作品画像は掲載しない。(興味のある方は作品画像を検索してみて頂きたい。いくつか論考も見られたので、個人的に的を射ていると思ったあたしか氏の文章へのリンクを貼っておく。)

もっとも、彼が作品の中で描く「死」は、大げさで、大味で、舞台装置的で、ハリウッド映画のようでもあるから、日本的な湿り気のある「死」とはまた質が異なる。しかし、「忌避」の感覚をインストールされている我々日本人からすると、直視出来ないものでもある。

そんな彼の作品が、2019年のVOCA展に出品されるのだという。推薦者は東京ステーションギャラリーの学芸員、成相肇氏。

私は笹山直規とは同期で、学生の頃からの付き合いであるが、そのテーマゆえ彼の作品は本人の居ないところで批評性のない誹謗中傷にさらされることも多かった。そんな時、私はそれらの中傷に近い意見を軽蔑しながら否定し、彼の作品の優れていると思われる点を挙げ、擁護した。私の意見はほとんど同意されることは無かったが、そうする事が、孤独に制作に打ち込む友人に、ささやかではあるが敬意を示す私なりの方法であった。

東京ステーションギャラリーの成相肇氏が、絵画に対しどんな意見や考えをお持ちか、私は不勉強にして存じ上げないが、経歴を拝見するとしっかりした実績をお持ちの美術評論家である。

そのような気鋭の美術評論家から評価されるという事は、笹山の作品にとって非常に重要だと思われる。その評価の事実は、今までの周辺の感情的な「誹謗中傷」を無効化するに十分だろう。前述の通り、彼の扱う「死」は、ストレートな表現の割りには「つくりもの」的な感覚がついてまわり、彼の作品に理解を示さない人達からそこを突かれると、私はいつも反論に苦慮していた。

しかし、もはや感覚的に「気持ち悪い」とか「見た目でムリ」とかの浅い言葉は、彼の評価に影響しない雑音と見なされる。思えば、今まで私は彼の展示を見に行くたび、うっかりその種の言葉を言ってしまわないようすごく気をつけ振る舞っていた。間違っても、「…全部出オチやんけ!!」と思っている事はおくびにも出さないようにしていた。

15年近い間、私は言えなかった事がある。おれの意見の影響など僅か、いや無いに等しいかもしれないが、少しでもお前の評価を下げたくなかったんよ。お前の作品が、ちゃんとした美術評論家の評価を得た今なら言える。お前が死体になる前に言えてよかった。

「おれはお前の絵が気持ち悪くて見た目で嫌いや。」

言ってしまった。。。

 

 

今年らしく、チノをはく。

ネットを眺めていると、ユニクロの広告が目に留まりました。「今年らしく、チノをはく。」まじか。もはや国民服と言われるユニクロですが、昔と比べどんどんおしゃれになってるような気がします。モデルも中村アンやし。

JoVEG1Z4

こんな事を言うとファッションが専門の人に「最大公約数的なお洒落やろがい!!お前のようなやつが!!服を語るなやー!!」と激怒されるのでしょうか?それともそれはこちらの古い偏見でしょうか?

登場した頃のユニクロは郊外型の店舗で安いけど、デザイン含め色んなものがひどかったイメージがあります。しかし、今はまずロゴとか店舗がおしゃれです。だってロゴは佐藤可士和、心斎橋店の設計は藤本壮介氏ですよ。

images 50513_img_Shinsaibashi_UQ_A

この変遷を、この20年で「デザイン」という学術分野の知見が社会の中で機能するようになったと見るべきか、それとも単にニーズを吸い上げ、経済をドライブさせるマーケティングの精度が上がったと見るのか、判断の難しいところです。

大阪では梅田や難波、心斎橋の一等地に店舗がある事を考えると、あれだけ価格が安くても採算が取れているのでしょうね。

そう言えば大阪梅田も再開発が進められ、梅田周辺だけなんか東京みたいになってます。昔の梅田を知っていただけに、梅田の再開発はAKIRAのネオ東京みたいな場所性を押し出したイメージで行われるのかと思っていましたが、そんな事を考えていたのは少数派のようです。こんな感じの。

e1c1497c

今の梅田は新しい建物に囲まれ、清潔で中性的な見た目です。周辺のグランフロント大阪やルクアにはマーガレットハウエルやバレンシアガなどのハイブランドが軒を連ねます。その中にユニクロ。中性と並列の時代です。本文と全く関係ないですが、まさかブチャラティがバレンシアガを着るとは思いませんでした。

スクリーンショット 2018-09-04 18.12.10

ミクロな日常は少しずつアップデートされ、同時多発的に変貌していっているのかも知れません。

一方で、全然昔から変わらないものも当然あって、最近のトルコリラの暴落ベネゼエラのインフレなどは、20〜30年前から世界各地で起こっていた金融危機と、既視感を伴って重なります。

スクリーンショット 2018-09-04 18.25.27

これらの経済合理性をOSとする根本的な経済の仕組み、問題は、ビルに飛行機が突っ込もうが、原発が吹っ飛ぼうが変わりませんでした。マクロな日常は相変わらず血塗れです。同じように左手を顔に当ていますが、上を向くブチャラティと、うつむくエルドアン大統領の対比に目眩を覚えます。

「ものつくり大国」と呼ばれる(もしくは一部の人が自称している)日本ですが、人件費が高い、人手が足りないなどの理由で、もはや国内で作れる「製品」などほとんどありません。服は勿論東南アジアや中国製がほとんどですし、お菓子の貼箱のような、人の手で内職で作っていく製品だって、大量ロットになると中国でつくる場合がほとんどです。もう日本には、職人が手仕事で携わるような生産ラインが残っていないのです。どんどん産業が空洞化し、技術も、知識も失われますが、一度失った技術体系、知識体系は再び得ようとすると膨大な時間がかかります。言うまでもありませんが、精密機器のほとんども海外で生産されています。例えば、輸入、輸出に頼っている分野で、トルコのように他国に経済戦争を仕掛けられたらと思うと、(リアリティが無いと思う反面、)中々ぞっとしません。

「お金」で買えるのは、モノだけでなく未来だ、と何かの本で読みました。モノを買う時に、この企業が利益を出して、大きくなれば社会が良くなる、と思える企業の製品を買う事で、望ましい方向に社会が変わっていくというロジックです。欲望は教育され、統制されないといけないのです。それも怖いな。。。しかし、私が2~30年前にお金を出して買った未来が、現状の空洞化した日本の一部だとするのであれば、ユニクロで服を一回買う度に、日本製の服も一回買おう、と決意するのでした。

アートを構築する語彙

80年代の終わり頃、もしくは90年代の始めの頃だったでしょうか。

当時私は小さな子どもで、大阪の鶴橋近くに住んでました。ちょうどその時、同じ場所で、かの森村泰昌氏がゴシックな女装をし、周りから奇異の目を向けられながら、何かよく分からないビラを配っていたのでした。当時の映像や画像が残っているかと思いネットを探して見ましたが、残ってないものですね。

森村泰昌(MのセルフボートレイトNo.56/B

昔、大学の授業でその様子を記録した映像を見ましたが、今でこそ観光地と化している鶴橋ですが、当時はまだ様々な社会的マイノリティが暮らしており、日本とは思えないほど異質な場所であったにも関わらず、そんな中でさえゴシックに着飾った女装の森村氏が一人完全に浮いてました。一番印象的だったのは、森村氏からビラを手渡されたパンチパーマにサングラスの、いかにも反社会的な強面の腰が完全に引けていたことです。

鶴橋という街は、(もちろん日本人もたくさん暮らしてますが)済州島四三事件から逃れて来た人達が暮らし始めた街、という風に聞いています。今でも駅を降りれば焼肉の煙で溢れ返っていたり、日本語以外の言語も聞こえてきます。

さて、様々な社会的マイノリティの人々は、今も昔も当然のように社会の中での立場が弱く、それ故謂れのない誹謗中傷に晒されることも少なくありません。当時の森村氏の装いは、ゴシックであることも、女装であることも思いっきりマイノリティでありその上さらに「異常」と見なされるものであり、完全に気持ち悪がられていました。その映像の中に映る、遠巻きに見ている人達の中には、国籍に関わらず、当時の社会制度や慣習により不当に不利益を被っていた人達も居たはずですが、そんな人達でさえ「こいつ完全にやばいやん!」って侮蔑を含んだ目で森村氏を見ていました。当時子どもの私がその場に居れば、変態やー!!と思いっきり思慮浅い言葉を投げて逃げていたでしょう。すべての人間に無意識的な差別意識が存在することを可視化した森村氏は、その後世界的に有名になります。

第二次世界大戦後、ユーラシア大陸側であった数々の戦争や紛争も、ある程度の落ち着きを見せ始めた80年代当時、数多くあった列強の植民地の独立も叶い、ポストコロニアルの文脈と1セットで、「差別」というテーマは現代美術の中でも大きな位置を占めていたようです。それは90年代から00年代前半くらいまで確かにそうで、当時同じ文脈でもう一つ、「ポリティカリーコレクト(Politically correct)」=政治的正当性、という言葉をよく見聞きしました。昔は今より、少しだけ厳格な言葉が多かったように感じます。

そこからさらに時間が流れ、00年代の中頃から後半にかけ、日本の現代美術の作品は明るく、ポップで個人的なテーマを中心とした作品が現れます。この頃から「現代美術」という言葉より、「アート」という言葉が目の前の作品をしっくり呼称していると感じるようになり、それと軌を一にするように、ポストコロニアルも政治的正当性も、厳格で政治的な響きを携えた言葉は「アートを構築する語彙」の中では周辺に追いやられたように感じていました。

しかし最近、久しぶりに「ポリティカリーコレクト」なる言葉を聞きました。しかも政治もアートも関係ない文脈で、ご飯を食べてる時の割と世間話っぽい会話の中で出たのです。厳密に言うと、それは「ポリコレ」と略されていましたが…

そういう略し方があるのは知っていましたが、ネットスラングとか皮肉でブラックな冗談ぐらいに考えていました。まさか「政治的正当性」が「ポリコレ」「ポリコレ棒」になり、日常会話の中に登場する市民権を獲得する日がやってくるとは、私は思いもよらなかったのです。

その言葉を使う人たちは、背後に暗さと、それを退けるための厳格さの張り付いた「政治的正当性」という言葉を、「ポリコレ」と略すことの「政治的に正当な」理由があるとでも思っているのでしょうか。初めて「ポリコレ」という言葉を知った時は、ゲームとかグラフィックデザインとか、そっちの界隈の言葉と思ったくらいです。最近はアートを語る語彙、文法だけでなく、日常のあらゆる言語感が口当たりよく、意味が削がれその分軽く、使いやすくなっているように感じます。時代の流れを考えれば、それはまた不可逆な事象なのかも知れません。

今、こうして振り返れば、当時の森村氏の作品=パフォーマンスは、日本の「現代美術」に見られる独特の口あたりの悪さ、文法的な歪み、すべり芸的なずっこけ感が全て詰め込まれていますが、それらとの対比で、コンセプトの重々しさ、厳格さが際立っていました。そしてそれは、現在の「アート」という、軽い言葉の内で語られるにはあまりにも、非抑圧者達の悲しみが深く染み付いた内容でもあったのです。

今では「現代美術」という言葉はほぼ使われなくなり、多くが「アート」という言葉に置き換わっています。しかし生まれて間もないこの言葉は、どこからどこを指し示すのか未だその範囲も怪しく、また自らを語るための語彙も少ないが故に、人間のどうしようもない暗さを包括する為の深さも足りません。これから範囲と意味を拡張、更新していかないといけない概念でもあるのです。

少なくとも、「アート」という概念を、「ポリコレ」という語彙の類いで語ろうとすることだけは、誰も許されないのです。