よく本屋さんに行きます。
美術関係の本は大きな本屋さんでないと欲しい物が無い場合が多いので梅田のジュンク堂や紀伊国屋に行く事が多いのですが、一昔前に比べて美術関係の本って減ったように感じます。2008年のリーマンショック以前だと、「Pen」や「Brutus」といった雑誌でも現代アートの特集が組まれ、「現代アート」というものが市民権を得られるかのような雰囲気さえありました。今はNHKの日曜美術館でも現代アート系はあまり放送しない様ですね。大阪では心斎橋のKPOや、天保山のサントリーミュージアムも無くなってしまいました。
現代美術はどれだけ高尚なテーマやコンセプトを掲げても、好況、不況の煽りをもろに受ける分野です。とは言え、(私見ですが)ある程度は経済原理とは切り離して考えないといけないとも思っています。というのは現代美術はその性質上、ディスコミュニケーティブなものや不快なものをテーマの中心に据え組み立てられる事も多いからです。それらはニーズやマーケティングからは決して出てこない形である事が多いです。作家は不可思議な、醜いその作品に、自分が「今、ここ」で発言しないと誰も気付かないであろうこと、消えてしまうであろうメッセージを託します。自分が黙っていても、他の誰かが言ってくれそうなメッセージが作品の中心に居座ってしまうと、つまりニーズを元に作品を作ってしまうと消費の対象にしかならないのです。あくまで「革新的な作品を作る」というスタンスで、期待通りの意外性、予想通りの新奇性を演出した作品を作ることになります。もちろん作家自身がその事に自覚的であり、作品を売りたいと明確に意識しての事であれば問題は無いと思います。むしろマーケットが拡大しそうなので一定数そういう人たちもいて欲しいとさえ思います。要は何を優先させるのか(売上なのか、社会の中での役割なのか)という事になります。この辺りは川俣正さんの「アートレス マイノリティとしての現代美術」(フィルムアート社)や白川昌生さんの「美術、市場、地域通貨をめぐって」(水平社)などが示唆的です。
以前、2011年頃だったでしょうか、大阪駅前が再開発されたときはなぜか周辺の三越伊勢丹や阪急百貨店等が「現代アート」を扱うフロアを設けてオープンし、その後1、2年で撤退、もしくは縮小したように記憶しています。現代アートはどれだけ頑張っても現在の、しかも大阪といったローカルな経済原理には馴染みきらない物だと思います。大阪は他府県と比較しても、「お金」そのものに価値を見出す人が多いように感じます。商人の町だからでしょうか。損得にも厳しい。そんな土地で現代アートを商品として扱おうというのなら、例え口当たりの良い作品ばかりを扱おうとも最初の10年は赤字を垂れ流す覚悟で、13〜15年後くらいにようやく赤字が出なくなり、20年後にわずかに利益が出始める….くらいの覚悟で取り扱って欲しい、というのが美術に関わる者としての率直な意見です。すぐに撤退したり、縮小されたりしたのでは増々現代アートの作品の価値が安定しなくなるからです。無論、そんなことは株式会社では無理だということは理解しています。もし大阪でこれから現代アートをある程度の規模で商品として扱おうという企業が有るとすれば、よほど目を見張る戦略や潤沢な資金、人的リソースがある場合を除いて(それはオープン当時の森美術館に匹敵するくらいの、という意味です。オープン当時の森美術館のスタッフについてはこちらの記事を参照下さい。2003年、まさにオープンする直前の記事です。)すぐに撤退に追い込まれると言わざるを得ないでしょう。逆に言うなら、わずかな資金であっても20年くらいのスパンで手間をかけ地道に取り組めばいつの間にかマーケットが出来ている、と言う事はあり得ると思います。
上でも書きましたが、作家はその作品に自分が「今、ここ」で発言しないと誰も気付かないであろうこと、消えてしまうであろうメッセージを託します。そんなメッセージにこそ、聞く意味があるのではないでしょうか。