FACE2022に入選しました。
新宿のSOMPO美術館にて、2/19~展覧会が始まっています。
なんかリテラル過ぎよのう、と思わず反省してしまう作品ですが、お近くの方はぜひご高覧ください。
チケットありますので、言っていただければ郵送します!
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FACE2022に入選しました。
新宿のSOMPO美術館にて、2/19~展覧会が始まっています。
なんかリテラル過ぎよのう、と思わず反省してしまう作品ですが、お近くの方はぜひご高覧ください。
チケットありますので、言っていただければ郵送します!
シェル美術賞に入選しました。
国立新美術館にて、12/8~12/20 まで作品が展示されています。もう始まっているので、大分お知らせ遅れましたが…
見に行ってもいいよという方はメールください。よろしければチケット郵送させていただきます。
「卵を渡る」という作品です。よろしくお願いします。
前回から随分と時間が経ってしまった。
「うたかたと瓦礫(デブリ)」がどのような展示だったのか、ここではいくつかの作品に絞ってレビューしていきたい。展示概観が知りたい方は美術手帖のレポートが非常に分かりやすいのでご覧いただきたい。
会場では観覧順路は特に決められておらず、立体ともインスタレーションとも分類され難いオブジェクト群が迷路のように配置されていた。その真ん中あたりに仮設の階段のような、橋のようなものが配置されていた。
その橋は2015年の展覧会「突然、目の前がひらけて」で隣接する武蔵野美術大学と朝鮮大学校の境界(塀)に架けられた橋の再現であった。本来「橋」というものは川や谷を渡るための道具で、「使われる」というその役割を通して受動的な形でしか人との関係を結べない。しかし、武蔵美と朝鮮大の壁、塀を超えて架橋された橋は日常の役割を担った道具としてではなく、一種の象徴として能動的に人の意識に変化をもたらすものであった。2015年は安保関連法案を巡る世論が激しく分裂した年でもある。それまでの日本社会に深く沈殿していた澱のような差別意識は、倫理を無視してヘイトスピーチとして公然と表明されるようになった。それは、もし近隣諸国との関係の悪化から外交面や経済面で攻撃を受けることになったら、もっと踏み込んで国内を攻撃されたら、という不安の裏返しからかもしれないし、戦争経験者が年々少なくなりこのような攻撃的な言動にはっきりと反対を示す個人、団体の声が小さくなっているからかもしれない。
そのような状況下で、特に両校を隔てていた「塀」を軽々渡っていくことの出来るこの橋は、月並みな言葉であるが社会の分裂に対してアートが示すことのできる応答であっただろう。同時に展示されていた「区画壁を跨ぐ橋のタイムライン」は文字通り作品(橋)が形になるまでのスケジュールとメモや付箋が張り付けられたアーカイブであるが、メンバー5人各自のアイデンティティやその背景にあるイデオロギーまで垣間見え、そこから感じ取られる決して交わらないであろうそのダイアローグの行方は、相互理解や結論ではなくお互いの無理解までを含んだ穏やかな連帯であった。それは別の位相で「壁」を橋で渡った瞬間のように私には感じられた。
振り返ってみれば、平成7年の地下鉄サリン事件以前「セキュリティ」という概念は無かった。内側の安全を守るためのこの言葉は、「外側」と区別するための塀の存在を前提とする。その塀は双方の立場を明確にし、あえて違いを強調するものとしても機能する。「敵」がいるから安全を確保しないといけない。 逆に言うと、「安全」という言葉は無意識に「敵」という対象を必要とする。この言語上の構造は、不必要な部分にまで敵味方という意識を進行させる。我々はこの構造に留意しながら、安全というものを慎重に捉えていかねばならないのかもしれない。
両校の壁を跨ぎながら、バレーボールでラリーする映像作品も印象深かった。壁をネットに見立てラリーしているのだが、当然壁があるためお互いの顔が見えない。それどころか誰がいるのか、何人いるのかもわからないままラリーは続いていくのだが、壁から突然ボールが飛び出してくるので互いに歓声を上げながら打ち返している。原初のコミュニケーションというものがあるとして、その剥き出しの原型は、このようなものだったのだろうと強く思わされた。
敵/味方に限らず、状況を二極対立で整理する捉え方は近代的なものであり、つまり前時代的なものとなってきている。状況は多分に複雑であるが、しかし平成という時代はその複雑さを切り捨て、簡素で「分かりやすい」形式に無理やり押し込んできた面があったように思われる。
2000年の9.11、2003年のイラク侵攻は「安全」や敵/味方の構図でシンプルに語られてきた。本展覧会とはいささか話がそれるが、最後に「中村哲が14年に渡り雑誌『SIGHT』に語った6万字」という記事へのリンクを貼っておく。中村哲氏が生前アフガニスタン現地で見た戦争と相互理解についてである。
そもそも、「相互理解」とは何なのか、「物事」を整理し分かりやすくまとめることなど可能なのか。我々は自らの認知、認識機能というものを捉え直し、理路整然とした「合理性」がレトリックであったという事実に気付くべきなのかもしれない。
discoveryartfair frankfurt 2021が無事終了しました。
会場の雰囲気はこんな感じらしいです。
展示の様子はこんな感じで、海外の、それもヨーロッパのアートフェアやなあという感じですね。
遠くドイツまで観に行って下さった方、作品を持って行って下さったギャラリーの方、ありがとうございました。
ドイツ、フランクフルトのアートフェアに小品を出品します。こんな時期ですが、会期中フランクフルトにいるよという方はぜひご覧ください。
discovery artfair frankfurt 2021
会期:2021年11月4~7日 *4日は招待のみ
ブース:E-18
三月の末に、京セラ美術館で行われていた「うたかたと瓦礫(デブリ)」展を観た。少し時間は経ってしまったが、感想を記しておきたい。
この展覧会を企画したのは美術評論家の椹木野衣である。平成という時代の一部分を自らの言説で形作った美術評論家は、現時点からどのように平成を振り返るのか。そこに興味が引かれた人も多かったことだろう。タイトルの「うたかた」は鴨長明の方丈記から、「デブリ」は建築家・磯崎新の「瓦礫(デブリ)の未来」という本からそれぞれ取られているそうだ。
私は一つの時代のメタファーに、瓦礫(デブリ)という語を選択した磯崎新氏の直観に感嘆せずにはいられない。平成年間に山のように積み上げられたデブリは、天災と人災による破壊で作られた瓦礫であった。
平成が幕を開け、その翌年にバブルが崩壊した。平成元年にはソニーがコロンビア・ピクチャーズを、三菱地所がロックフェラーセンターを買収し、12月に日経平均最高値を記録したにも関わらず、その一か月後には株価が急落したのである。当時それまで単線的な発展を続けていたかに見えた日本の経済システムが、実はそれほど実態を伴ったものではなく泡沫の如きものであったと言われても、多くの人が目の前の現実に手持ちのリアリティが追い付かない倒錯した状態であったことだろう。もはや商人国家と成り果てていた日本はその後30年以上を右往左往することになった。
その後、平成7年には阪神大震災が起こる。経済の信仰とシステムが破壊されたバブル崩壊に対して、こちらは数十年戦禍とは無縁であった近代都市一つが、天災によって物理的な瓦礫と化した未曾有の事態であった。
ここで今回の展覧会に出品はされていなかったが、平成という時代がどのような価値観を育み、またそれによってどう形成されていったかを探るイントロダクションとして、建築家の坂茂が阪神大震災時に住居を無くした人たちに提供した「紙のログハウス」という仮設住宅を紹介しておきたい。
これは阪神大震災当時、ボートピープルとして入国していたベトナム難民たちのグループに仮設住宅として提供されたものである。ベトナム人グループ達は、震災という災害時に日本人なら当然カバーされている生活支援から避難所以外に起居しているという理由だけで除外されていた。行く当てのない彼らは公園にテントを張り、仮の住まいとしていた。テントは、太陽が出れば室内は蒸し風呂状態、雨が降れば床は水浸しといった状態で、災害によって増幅された社会的な不条理はマイノリティであるベトナム人たちを直撃していた。勝手にテントを張って公園に住み着くベトナム人達を良く思わない地域住民たちとの摩擦も起きていた。
「そんなテントでその日暮らしをする彼らは、語の本来の意味での難民といって良い。長い内戦の末に命を賭けた脱出行によって日本に辿り着くという生き様は、半世紀前の日本人が体験した満州からの引き揚げにも重なる。しかも、落ち着いたはずの神戸でまた昔と同じような事態に見舞われることとなった。家を失い、遭遇した状況に中でひたすら耐え忍ぶだけのマイノリティの姿を前にして、坂茂はこう自問した。人々に住居を提供し都市をつくってきた建築家がここで役割を果たせないとしたら何なのだろう。」(三宅理一著 限界デザイン TOTO出版)
「紙のログハウス」の概要は以下の通りである。まず、トイレットペーパーの芯が大きくなったような「紙管」を縦に並べて壁として使用する。これは製紙工場で紙を作る際、ロール状にするときの芯として使われており、工業用ということで安価で入手可能な材料である。屋根は布の張力を利用した二重の防水テントが考案され、暑い日はそれを開けて熱気を逃がすことが可能であった。基礎はプラスチックのビールケースの中に砂袋を重りとして入れ住宅が風で吹き飛ばないようにしつつ、地面からの高さを確保し湿気を断つ。
「紙のログハウス」の一番のポイントは、多くの人からの寄付を募り、材料費も最低限に抑えながら、十分な量の住宅を作った点にある。施工も工務店が行うのではなく、ボランティアや住民たち、つまり「みんな」でつくる。紙管、テント、ビールケースはそれぞれ企業から提供してもらい、設計、材料調達、組立のシナリオが組み込まれたデザインとなっていた。
誰かが抱え込んでしまったマイナスを、他のみんなでゼロにする。例えそれが社会的、文化的背景を異にする者であっても。協同と助け合いという考え方は、間違いなく「平成」を貫く重要な価値観であるはずであった。
それは今回の「うたかたと瓦礫(デブリ)」展でいえば「突然、目の前がひらけて」の作品に強く引き継がれている確固たる価値観でもある。
それが平成最後の3~4年で大きく揺らぐことになるとは、今でも信じられない。
例えば、そこから逃げ出したくて仕方が無い人がいて、逃げなければならない人達がたくさんいたとして、地平線の彼方まで逃げてその先に逃亡者の集落をつくろうとしたとする。その時にどういった類の想像力が、集落を実現させ得るのだろうか。その世界では生きることができなかった者たち、「逃亡者達の集落」である。
その集落の実現は、おそらくフィクショナルな物語を全員で共有する事によって初めて可能になるのではないだろうか。それは一つの集落を何もないところから、新たにもう一つの現実を、世界を作り上げる駆動力になりえる物語である。きっと神話の如く荒唐無稽な、だからこそ強い力を持ち得る「虚構が支える現実」である。どの国にも建国神話があるように、それがなければ革命の物語があるように、集団の根幹は現実に比肩しうるリアリティを伴った虚構によって支えられている。逆に言えば、集団に共有された幻想は現実として出来するのである。それらは口頭であれ、文体であれ、何らかの記号を媒介させることによってでしか共有されない。
言霊のようなオカルトなものとは別の仕方で、確かに記号としての言語は現実の一部を形づくる。昔から争いの最中にはデマや嘘を流し相手を撹乱させるのは常套手段だし、ミームは正誤を問わず伝達し易いものが一気に広がっていく。だからこそSNSはフェイクニュースで集団を特定の方向に誘導したり、煽動することが可能である。SNSは長い文章を読み書きすることを前提としていないので、現実の詳細なディティールを一切カットする。それが一種の分かり易さとなって特定の集団に広がり、行動を誘導する。これらも確かに「現実を作った」ことになるのだろうが、それらは発信者、受信者双方がディティールを意図的にカットし事実を歪曲することで新たな現実を上書きしている。
逃亡者たちが集落を作る際の構想には現実に比肩しうるリアリティを担保するためのディティールが不可欠で、それはSNSのフェイクニュースやデマやナショナリズム、イデオロギーが作り出す平坦な「現実」とはディティールというものの扱いを巡って大きく異なる。何も一から十まで建物の形や素材、配置が決まっている都市計画のことを「ディティール」といっているのではない。その想像力自体が手触りを伴った物質のごとく感じられ、重さや質感までも存在する様子を指して「ディティール」と呼んでいるのである。
何かを飲み込み押しつぶす力は画一的で平坦である。飲み込む対象を選ばない。それはそこにある物すべてを飲み込む暴力の謂いであり、それを跳ね返し得るのはディティールを伴った想像力である。これから先、私たちは幾人かの逃亡者たちと出会う事になるだろうし、私たち自身がそうなるのかも知れない。
「こんなところにまで人は住まなくてはならないのかと思われるような場所に、驚くべき集落がある。おそらく、それらの集落の大半は、なんらかのかたちで逃げてきた人びとの手によって築かれたにちがいない。こうした推測が正しければ、撤退と遁走は、人間のきわめて重要な局面、いわば哲学の深化される局面であるといわざるをえない。」(集落の教え100 原広司 彰国社)
誰だって前向きな表現というものが見たい。わざわざ時間を裂いてあえて後ろ向きな表現を見たい人などいないだろう。アートに限らず、映画でも音楽でも、どういったジャンルの芸術も、誰も傷つけず、鑑賞した人全てを肯定するような前向きな表現、作品が求められている。今はそういう時代のようだ。
余談だが、90年代後半のマンガや映画は残酷なシーンが多かった。当時ある猟奇殺人を描いたマンガが絵的に残酷すぎて、出版社の役員が印刷機を止め新連載の予定がずれ込んだのは有名な話である。あの頃の過剰に残酷な表現を時代の空気だとするのなら、今はそういったものは直接的に描くことは出来ず、一つ奥の層に埋め込み遠回しに表現しなければならない時代なのだろう。
しかし、世界中を見回せば隠しきれないほどの紛争が前世紀から続いているし、日本でだって様々な事件が日々起こるし、殺人者も実在する。自分でそうはなりたくなくても、どうにもならない巡り合わせや避けようの無い不幸は確かにある。全ての人のありのままを肯定するような「前向きな表現」は、どうしようもない巡り合わせの末に罪科を背負うことになった人達までも、肯定する事が出来るのだろうか。
今から15年程前、海外のある紛争地域から僅かの家財道具だけを持って逃げ出したアーティストが、ギャラリーでその家財道具一式を展示し、住むところも無いので展示期間中その中で寝起きしていたというのを聞いた事がある。それは誰かを楽しませるとか、喜ばせるとかといった「アート」とは完全に異なる、状況が抱え込む「負」と、作品と作者が抱え込む逡巡が持つ「負」が乗算されてかろうじて「正」に転じるような表現であると思う。それは人を傷つけては駄目だとか、戦争は良くないといった説得•説教ではない。そこでは眼前にある「負」が、何とか「正」に転じようとするその事実に、わずかな希望は託され作品という仮象によって提示される。直視する事も勇気がいるであろうその展示は、逆説的にかすかな「希望」の存在の根拠となっている。
しかし、このような種類の作品は、現代の日本で展示可能だろうか。悲しさを正しく受け止めるには感性が必要である。
「全ての人が、ありのままでそこにいていい」という社会を、我々は目指すべきだということは分かっている。しかし、私は未だにその言葉を素直に肯定することが出来ない。
あまり前向きでない言葉を使わない方が良いよ、と人は言う。社会生活や人間関係において、なんか後ろ向きな言葉や吐き捨てるような言葉を使われては確かに良い気はしない。
では表現における「後ろ向き」はどうなんだろうか。個人的にあまり映画は見ないのだが、時間が経っても印象に残っているのは「羊たちの沈黙」のバッファロー・ビルやレクター博士、「エクソシスト」のリーガンのブリッジ階段下り場面など、あまり「前向き」とは言い難いシーンである。そんなん映画の選び方の問題やろ!と言われそうだが、ジャンルが偏らないようには注意している。
ただ、恋愛映画を見た後に「本当の愛って何だろう」とは考えないが、「羊たちの沈黙」を見た後に実際の異常犯罪者ってどんな人間だろうとか、「エクソシスト」の後に悪霊っているんだろうかとかは考えてしまう。
世にオカルトな話は多々あれど、「悪霊憑き」は特に恐ろしい印象がある。幽霊を見た、なら何かの見間違いと言い張れそうだが、生身を伴う「悪霊憑き」は有無を言わさぬリアリティがある。
昔読んだ本には、それは視覚を巡る認識の問題だと書いてあった。我々の五感の中で、視覚だけが対象を二重化する。つまり「視える」ものと「視えない」ものとにである。この二重化があるからこそ、人間を「肉体=視えるもの」「精神=視えないもの」の二元論で捉える事が可能になる。逆に言えば、我々人間が視覚が弱く、代わりに聴覚が発達している生物であったとしたらこの二元論は恐らく成り立たない。ということは当然「精神」と呼んでいる概念は、今とは全く別の形を取る事になる。同時に、「幽霊」なるものも形を変えてしまう。
また、我々は洞窟のような広大な暗闇の中で自分以外の音が無いまま自身の位置が分からなくなると正気を保てない。肉体という感覚器官を失った精神が「幽霊」であるとして、それはどのように周囲を認識し意識を保つのだろうか。
ところで、話はがらっと変わるが私は先日梅田に手袋を買いに行った。フォーマルな男性用の手袋を探していたのだが、そういうのは革製が多く、私はヤギ皮の手袋を手に取ったとき「羊たちの沈黙」を思い出し、ヤギはこんな形にされて恨んでへんのかな、と想像したとき「エクソシスト」を思い出した。ついさっき「それは視覚の問題だ!」と書いたにも関わらずである。こんなところでヤギの恨みを買っても困ると思い、フリースかニットの手袋を改めて探そうと決め、「後ろ向き」な表現の強さを思ったのである。
人はどんな時に自分を取り繕い、演出する必要があるのか。
「仕事」と「恋愛」は最も自らを演出しないといけない場面だろう。という事はそれ以外の、つまり経済的利益と性欲を除外したところで成り立つ人間関係が、互いの「本当の私」を見せ合える関係ではないだろうか。中々タイトな範囲である。現代の日本で、多くの人が最重要事項と考えているのが「仕事」と「恋愛」だろう。それはもはや盲目的な信仰のようだ、と思うことさえある。お金も愛も、疑いが生じた時点で価値は消滅する。疑う事を許されないという点において、それは信仰とは同型である。
「わたしたちの文明がもっとも深くかかわり合っている文化的慣習が宗教でなくなるまで、わたしたちは宗教を客観的に論ずる事ができなかった。宗教の比較研究があらゆる問題点を自由に追求できるようになったのは、今日が初めてである。」ルース•ベネディクト著、米山俊直訳 文化の型 講談社学術文庫
なぜ仕事をするのか、なぜ恋愛をするのかはほぼ問われる事が無い。仕事と恋愛をある特定の時代の特定の社会の「文化的奇習」として距離を持って捉えないとこの種の問いは浮かんでこないのである。当たり前だが、生活のためとか結婚するためとかいう答えは目的と手段が転倒している。
ある文化の中で、制度とは社会の発展を補助する為に建設的に生み出される訳ではない。大抵の場合は内部の軋轢や衝突を回避する為に、取って付けたように生み出されるのである。よってその制度は、人々の不満や欲求には対処できても、必ずしも本質的問題を解決する訳ではない。時代や場所が変われば、その制度は全く問題を解決していないように見えることも多い。大昔の、人身御供や切腹といった制度が何かを解決しただろうか。
だからあなたが、「労働を義務とし、働けない者を甘えだと糾弾し容赦なく切り捨てる。そんなん理不尽じゃ!それでは生きる事の本質を見失うやろ!!」とか「お金がなかったら愛情も無くなるって、そもそも金に価値と意味を与えるのが、すなわち愛やろが!!」と主張しても、おそらく今はまだ壮大な空転を目の当たりにするだけだ。
「仕事」と「恋愛」の関わらないところに本当の私は居る。つまり現在の社会的な価値基準では欠落や未熟と見做されるような部分、例えば雨が降ってるのに公園で遊んで帰ってこないとか、綺麗な服を着て優雅に立ち振る舞うのが嫌いとかいった部分に、肯定的にその人らしさを見出せる関係が「本当の私」を見せ合える関係ではないだろうか。それは友達と呼ぶには熱すぎて、恋人と呼ぶにはぬるすぎる、特別な関係である。