百年の孤独 中編その2

その時、さらに増援が到着し鉄砲も四十丁まで増えていた。しかし、それらを以て斃す事が出来ない狡猾な羆。それを屠る為に招かれた「銀四郎」とはどのような男か。

他人との争いの際は「相手に思いきり殴らせ、顔が血に染まっても薄笑いをうかべながら抵抗もしない。そして相手が疲労すると、それを待っていたように激しい殴打を浴びせる。(中略)漁村に行って、他の地方から流れこんできた二人の遊び人を相手に闘い、両方とも昏倒させて留置所に投げ込まれた事もあった。」「酒を飲んでいる折に銀四郎が突然茶碗をかみくだく習癖のあるのを知っている者も多く、かれらは、銀四郎の顔を思い出すだけでも不快なのだ。」(吉村昭著「羆嵐」より)

しかも聞くところによると「銀四郎」、金に困って銃を質草に村長から金を借り、今は銃がないらしい。借りた金で酒を飲み暮らしている。現在ではマンガや映画でも見かけないキャラクター造形である。

そんな男に羆が猟れるのか。しかし、区長は身銭を切り、銃を請け出すのでなんとしても連れてくるよう村の男に命じる。玄人にしかやれぬ事だという判断である。区長はアイヌの猟師を思い出していた。彼らは単独で羆を追い、仕留める。彼らは他人の同行を極度に嫌い、それは他人に自分の感覚を乱される事無く羆と対峙したいからで、一対一が羆を斃す基本的な条件と考えている節がある。

「銀四郎」に参加を乞えば、高慢な態度で男たちの無能を蔑み、村の結束を乱すかもしれない。しかしその危惧は的外れで、現れた「銀四郎」は区長の前で帽子をとり、災難だったな、と哀悼を示すのである。しかもあれだけ荒れ、酒を飲んでいた男が、羆を追跡する間は飲まない。区長に勧められた一杯に、申し訳程度に少し口をつけただけである。

深夜、最終の防衛線と考えられていた氷橋付近に、羆が現れる。集落に食べ物が無くなった羆は、餌を求めて人間の匂いがする街のほうへ出ようとする。羆は水に濡れるのを嫌うので、街に出るには川を越える唯一の氷橋の上を通るしか無く、村人と警察は何としてもその橋を死守しなければならない。

闇が濃い。最初は、切り株が一つ増えている気がする、という程度の違和感を、何人もの見張りが互いに確認しあい、動いたところで羆だと推定したのである。村人と警察は一斉射撃をする。「銀四郎」はそれを見るだけで加わらない。遠すぎて当たらないと判じたのだ。

羆狩りとは、かなり近い距離で急所に銃弾を撃ち込まないと斃せない。そのためには、羆よりも速く歩き、気取られる前に風下から背後に回らないといけない。

その翌日、集落に入った「銀四郎」は、追跡ののち羆の後ろを取る。同じく集落に入った討伐隊の男たちに羆の注意が向いている間に、背後に回ったのである。羆は山の傾斜を登ってくる村の男たちの動きを見下ろしていた。

がさつな乱暴者がその設定が嘘のような老練さを見せるではないか。駆け引きが実に巧みである。忘れてはいけないのは、「銀四郎」は大正時代に実在した男がモデルで、この物語は実際にあったドキュメンタリーだという事だ。こんな性格の二面性おかしいやろ。これを突出した異能と取るか、極端な精神欠陥と取るかはもはや時代の価値観次第である。100年あれば価値は反転する。なかなか恐ろしい事実であると思う。

選挙がありましたね

先月、令和になってはじめての参議院選挙があった。例によって若者の投票率が低かったそうだ。各メディアはこれについて、若者の政治への関心が低ければ意見が反映されにくくなるとか、本来若者に向け使用されるはずの予算、税金が減ってしまうなど報じている。

これらの報じられ方には二種類の問題がある。

第一に、「民主主義」の意味の捉え方である。基本的な事だが、「民主主義」とは「多数決」の事ではない。

例えば、学校の遠足で、動物園に行くか、水族館に行くかを決めるとする。30人のクラスの内、29人が動物園、1人が水族館に行きたい、と意見が割れ、単純に希望が多い動物園に決まればこれは「多数決」である。一方、29人と1人に分かれ、議論し、1人が「あるとても珍しい魚の産卵が水族館で見られ、それは今の時期しか見れない」と言った事により29人が意見を変え、今回は水族館に行くという事になれば「民主主義」である。

そもそも、「民主主義」の主語は本来マイノリティなので、少数の意見が無視されるのであれば、現状の間接民主主義は健全に機能していない事にはならないだろうか。

第二に、「若者の投票率が上がれば、問題は多少なりとも改善する」という言説の安直さである。仮に若者の意見が反映されるようになったとしても、高齢者や他の年代の方々が生活しにくくなるのであれば、それぞれの立場が入れ替わるだけである。問題は解決していない。それに、大多数の有権者が是とする政治的意見が常に正しいという保証などない。

選挙はより多くの票を獲得した候補者が当選する、という前提なのに「民主主義は多数決ではない」とはどういう事か。この矛盾は、現状の社会システムのバグと言えるかもしれない。

以上から導きだされる結論は、「間接民主主義は再発明されなければならない」となるはずである。

勿論、それはすぐに設計できるものではない。次善の方法は、新制度が作られるまでの間、与党と野党の議席数がおよそ半々となるよう有権者が調整し投票する事である。そうなれば、与党は議論無しでは主張を通せない。それだと手間がかかる、結論がすぐ出ない、という意見もあるだろう。しかし、政治の決断は、100年後の国の存亡に大きく関わる。歴史が示す通り、性急な結論を避けることが最大のリスクヘッジである。民主主義は完璧な政治形態ではないが、多数決よりは遥かにまともである。

しかし、上述のような意見は各メディアからは聞くことはない。これらが余りに自明過ぎるので、あえてみんな口にしないだけだと諸賢よりご指摘があれば、私は自らの不明を恥じる他ないが。

 

 

 

 

百年の孤独 中編

「しかし、かれらの生活は、その地の土壌に仮の根をのばしはじめていたにすぎなかった。植物は、冬の訪れとともに地表から姿を消すが、種子は土の割れ目に入って春の訪れとともに多くの芽を吹き出す。それは、土壌との毎年約束された合意による物だが、かれらはそこまで土の信頼を得るには至ってはいなかった。村落の者たちは、四年以上も前にその地に入植したが、今もって一個の死者も埋葬することをしていなかった。(中略)土との融合は、植物の種子が土に落ちるように死体を土に帰することによって深められる。人間の集落には、家屋、耕地、道とともに死者をおさめた墓石の群が不可欠の物であり、墓所に立てられた卒塔婆や墓石に供えられた香華や家々で行われる死者をいたむ行事が、人々の生活に彩りと陰影をあたえ、死者を包みこんだ土へのつつましい畏敬にもなる。」(吉村昭著「羆嵐」より引用)

厳しい環境の中で、少しずつ収穫を増やし、生活を安定させていく六線沢の集落に、突然、招かれざる客があらわれる。本格的な冬を前に、ねぐらを得る事が出来なかった「穴持たず」の羆である。

現代を生きる我々にとって、クマはどこかかわいらしいイメージがつきまとう。しかし、それは「熊」と「羆」を混同しているからだという。本州に生息する「熊」は大きくても100kg強で、木の実などを常食としている。この大きさなら、全盛期のエメリヤーエンコ•ヒョードルであれば五分で打ち合える。彼のヘビー級では類を見ない踏み込みの早さと強力な連打があれば、いける。対して、「羆」は肉食獣で体も大きく、中でも本作に出てくるものは重量383kg全長3.6mの特大である。あかん、人間では勝てない。

集落を強襲し、人を食い殺した羆に対し、住民は戦々恐々の大騒ぎにになる。すぐに近くの三毛別村落に応援を頼み、いくつかの村田銃と、鍬や鎌をもった男たち50人がやって来た。安堵の空気に包まれる集落にあって、しかし羆は巧みに追撃を躱し、まるで裏を掻くように次の家を襲撃する。羆は獰猛な反面、非常に賢い動物でもあるのだ。追撃する側は、その狡猾さに驚き、また新たに食い殺された仲間の損傷の激しい肉体を眼にし、徐々に恐怖を抱きだす。自分たちに羆を狩る事はできない。こちらが狩られる側だと思い知らされるのである。

作中、ある家が襲われている描写がある。男たちはその家を取り囲んだは良いが、羆がいる中に入って行ける者はいない。かといって、まだ生存者がいるかもしれないのに外から矢鱈滅多に銃撃する事もできない。火をかけ焼き殺すなど以ての外である。どうすれば良いか、気も顛倒した男たちが決められない中、日露戦争で従軍経験のある元一等卒の男が意見を出す。

「まず家の入口附近に五人の銃携行者を散開配置させ、その一人に銃口を空に向けて二発弾丸を発射させる。その発砲音に驚いて羆が戸外にとび出してきたところを、一斉射撃で射殺するのが最善の方法だろう」

男の戦場経験が頼もしすぎる。しかし、ほぼ完璧なこの作戦は、射手の技量の未熟さ、取り囲む男たちの練度の低さにより、失敗してしまう。もうだめだ。鉄砲の扱いに長けた専門のマタギを呼ぶしかない。集団を指揮する区長は、悪名高いマタギの「銀四郎」を呼ぶ決意をするのである。

ところで、やはり草を敷き詰めて作った家では、雪風も、まして羆のような外敵も防ぎきれない。家は強く固い外壁があってはじめて「家」として成り立つ。建築は守るために強くなければならない。

この事件よりおよそ80年後、青森県立近代美術館の建築案コンペで、当時三十歳に満たない藤本壮介氏が「弱い建築」なるものを標榜し、審査員の度肝を抜く事など、この時誰が予想し得ただろう。特に、審査委員長の伊東豊雄氏は1941年生である。建築は、境界は強固なものでなくてはならないと身に染みている世代だろう。「弱い建築」とか「曖昧な境界」とかプレゼンで言われてよく認めたものだと思う。その建築概念の変遷を醸成した80年の「時間」というものを思うと、私は今まで「時間」を、ごく子供らしい仕方でしか理解していなかったのではないか、と思ってしまう。

 

 

 

百年の孤独 前編

最近特に思うのだが、時間の流れが速すぎて日々の生活に着いて行けない。毎日が単調だからかもしれないが、何とかその危機感があるうちに時間に対しての概念に新しいグリッドを差し込んでおかないと、気がつけばおじいさんになっている、という事にもなりかねない。

とりあえず、自分の持っている時間軸をもう少し俯瞰した状態で見れる視点を設定する事から始めてみたい。我々の世代の寿命は、長い人で100年だそうなのでまずその単位での変化を想像し、日常よりもマクロな視点で時間を眺めてみようというのである。といっても100年先の未来は想像の仕様がない。そこで100年前の日本の状況から今までの変化を見てみようと思うのだ。

ちょうどタイミング良く、約100年前の出来事を描いた本を読んでいる。吉村昭著「羆嵐」である。北海道の開拓民の、まだ歴史の浅い集落が、冬眠し損ねた「穴持たず」の羆に襲われた事実を元に構成し直した長編で、大正3年の出来事である。

え、100年前ってまだ北海道は開拓中やったん…というのがまず最初である。開拓は江戸時代や明治の時代の話で、大正にもなると正直広大な農作地や牧歌的な酪農のイメージであったが、どうも違うらしい。いや羆が集落に現れるのにも大分驚いたけど。

その集落ではどのような家に住んでいたのだろうか。北海道は雪深い。嘸かし雪や外気に対して知恵や工夫が凝らされた家だと誰でも思うではないか。

「男たちの手で家づくりがはじめられた。帝室林野管理室の許可を得て山林から材木が切り出され、それを蔓で組み立て、周囲を草でかこんで樹皮の屋根をふいた。が、家といっても出入り口と窓に蓆を垂らし、床にイナキビ殻や笹を敷き詰めた粗末な小舎にすぎなかった。」

「限界デザイン(三宅理一、TOTO出版)」という本を読んだ事がある。人は究極においてどのような家に住むのか、住宅における生存の為の限界デザインとは何か、という事に論及した本である。前者は内戦や災害に見舞われた人、後者は南極や砂漠のような極端な環境下において、住宅はどのような形を取り得るのか、実例を挙げながら論じられている良書である。しかし、上記の北海道の集落はその限界デザインを軽々割り込んだ。厳寒地で出入り口や窓にムシロしかないってそら水こぼしただけで凍るやろ!と思った。

「出入口や窓の蓆をひるがえして雪まじりの寒風が絶えず吹き込み、鍋に残った雑炊は凍り、濡れた床には氷が張った。」

やっぱりか。そしてその集落を悩ませたのは雪だけではないようだ。

「四月に村落をおおっていた雪が融けはじめるが、地表が露出した頃からアブ、蚊の発生がみられ、それは十一月初旬の初雪が舞う頃まで姿を消さない。(中略)その激しさに、人々は、眼の部分に蚊帳布をたらした布袋を頭からかぶって耕作したが、馬はアブと蚊に体をおおわれて狂ったように暴れまわり、使用をしばしば断念しなければならなかった。(中略)小さな糠蚊が大量発生し、あたり一帯が白くかすんだ。それらは、露出した皮膚に糠をまぶしたように附着し、人々は激しい痒痛におそわれ、中には高熱を発して苦しむ者もいた。」

凄まじすぎる。「限界デザイン」の中にもここまで過酷な状況を想定した例は出てこなかった。しかし、差し迫った問題として、彼らは生きねばならないのだ。

昔の方々の忍耐と真面目さには本当に頭が下がる。しかし、これは政府の移民奨励政策だった訳だから、政府の重大な人権軽視でもある。政府は事前調査をしっかりやるべきだったといっても当時はそんな時代ではない事に、100年の月日の厚みを感じる。

結局、虫が原因で彼らはその土地を捨て、近くの六線沢というところに新たに集落を作る。

芸術やアートなど全く出番のない過酷な時代、土地である。もし絵を描いている者がその集落にいれば、早よ畑耕せや!!と家族全員から殴る蹴るの指導、教育を受けたことだろう。いや、凄まじい時代に来てしまった。しかし驚く事に彼らは、六線沢で毎年少しずつ増える収穫や、苦楽をともにした周りの人々との交流に、幸せを感じ、割と楽しそうにする場面も作中描かれているのである。私は現代の価値観に毒されているのかもしれない、そんな事を思いながら、本格的に羆が登場する次回へ続くのである。

 

 

スフレを食べよう

帰還不能点。「もはや後戻りできない段階」の事である。

先日、私は珍しく映画を観ていた。といってもBSでやってたのを途中から、30 分くらいだけだ。恋愛映画だったが、主人公の女性は恋人のわずかな変化に気付かず、些細な行き違いから関係は一気に崩れてしまう。何度か、修復出来る機会はあったようだ。しかし、彼女らはそれに気付かず、訪れた別れの場面からはもう、幸せだったあの頃へは戻れない。

過日、戻れない場所を思いながら、女性は言うのだ。「あの時の彼に、なんと言葉をかけたら良かったのだろう。」

ふむ。なんか心が痛い。そんな帰還不能な場面を観てしまった時はスフレを作ろう。バニラの香り高い「スフレ・サクソン・ア・ラ・バニーユ」がお勧めだ。レシピはこちらである。

「なんで唐突にスフレなん?」そう思われるだろう。スフレとは、焼き上がり後わずか数十秒でしぼんでしまう繊細なお菓子だ。スフレが熱いうちに中央に穴をあけ、冷たいソースを注いで、熱いスフレと混ぜながら食べる、タイミングが大事なお菓子である。タイミングを逃し、しぼんでしまうと美味しくない。「映画のあの場面が、2人が元に戻れるかの分岐点やったんやなあ」とか「なんて言葉をかけるのが正解やったんやろう?」とか考えながら、しぼむ前に食べるのだ。

とは言え、映画であればどこが分岐点になっていたか、すっきり整理されているので分かり易い。スフレであればなおの事、「しぼむ前」が美味しく食べられるかの分岐点だ。

しかし、現実の恋人や夫婦であればどうだろう。映画やスフレほど「分岐点」ははっきりしない。どの言葉が、どういった振る舞いが分岐点となり、互いの心が離れていくかその時は分からない。

おそらく、「分岐点」とは我々が結末を得て、遡及的な形で、過去のある地点に定立される物なのだ。目の前を過ぎ行くときはまだ「分岐点」では無いのである。結末を得た時、ああ、あの出来事が「分岐点」だったのだな、とあたかもそこに元からあったように立ち現れるのだ。この一種の転回を含んだ見方が私は好きである。

考えてみて欲しい。スフレだって、しぼむ事を知らされず供されれば、「何じゃこれ!しぼんでもうたがな!!これ最初にゆうといてえな!」となるだろう。結末を知っているから、しぼむ前に食べるのだ。という事は、映画の彼女が見つけられらない「かけるべき言葉」も同じ理由で、結末と対である。望む結末を得られなかった以上、「かけるべき言葉」も当然空位なはずなのだ。

…まあ、私が何を言ったって、かけるべき言葉の正解は「愛してる」以外になかっただろうけど。

 

きっとあなたは忘れてしまう

この数年なんとなくだが、空気が変わった。時代の、と言えば幾分大げさだが、何かそういった世の中全体を覆うものが変わった気がする。

それは美術やアートと呼ばれるカテゴリの内側で考えてもそうで、一昔、二昔前には確かにあった「これはどの辺がアートなのか?」と思わず首をかしげるような、領域越境的な作品を見る頻度が、急激に減った。代わりに、随分ストレートな、分かり易い、どこか既視感のある作品を見る機会が増えた。つまり保守的な作品、ということだ。

例えば、10〜15年程前の絵画は、「かわいい」でくくられる作品がとても多かった。それらは2000年前後に台頭した村上隆、奈良美智らを代表とする一連の「かわいい」作品の影響を受けている事は明白だった。

しかし、それら多数の、玉石混合の「かわいい」作品群の周囲には、常に「これはアートなのだろうか?」という否定的な疑問符が付いて回っており、それらの疑問符は批判の反面、「アート」の領域が拡張されている、という事実を示唆していた。「アート」そのもののアイディンティが自問自答され、意味がアップデートされる瞬間にのみ、そのような疑問符は起ち現れる。

ちょうど10年前の日本では、それまでの欧米を規範とした「現代アート」の枠組みから、日本独自の「かわいい」路線のアートへの転換の方向性が色濃く映し出されつつあった。中でも象徴的なのは2009年に上野の森美術館での「ネオテニー•ジャパン 高橋コレクション」展であった。

その展覧会は、私の眼には、「ネオテニー=未成熟な」という欧米では否定的に捉えられる部分をあえて戦略的に前面に押し出し、世界に向けて発信する事で、欧米のアートの文脈に日本独自の立ち位置を確保しようという動きに見えた。それは浮世絵でもなく、オリエンタルでもない、日本が自らのアイデンティティを自らの身振り手振りで発信する、恐らく初めての事態であった。そして諸外国は概ね、この発信を好意的に受け取ったように思われた。

ちなみに、「かわいい論」(ちくま新書、2006年)の中で著者の四方田犬彦氏は、英語で「かわいい」にあたる単語は「cute」や「pretty」であり、それらの語源を遡れば、それぞれ「叡智や機知に長けて抜け目がない」といった意味のラテン語「acutus」や、「ずるい」といった意味の古代英語「praettig」になると述べている。厳密に言うと日本語の「かわいい」とは若干意味の背景、射程が異なるようだ。また英語に限らず「かわいい」に対応する概念、単語は他の国にもなかなか見当たらないらしい。

この頃、私は国立国際美術館の「エッセンシャル・ペインティング」と題された展覧会で「美少女戦士セーラームーン」の主人公が大きく描かれたタブローを見た。作者はヨーロッパ圏の人間だった。何か自分の中のイメージとは捉え方の異なるセーラームーンだな、と違和感を感じたが、それは「ネオテニー」との差異だったのかもしれない。

この「かわいい」を前面に押し出した作品群を、あまり見かけなくなったのはいつ頃からだろう。記憶を辿ってみると、第51回ヴェネツィア・ビエンナーレ(2005年)の日本代表に石内都氏が決定した際、日本は「かわいい」だけじゃない、といった旨の主張を読んだような記憶があり、もしかしたら「かわいい」路線は一方で「ネオテニー」として、一部からは嫌悪されていたのかもしれない。2005年ごろは「かわいい」全盛で、ヴェネティア・ビエンナーレでももっと押せばいいのに、と当時の私は無邪気に思っていた。

前述の「かわいい論」の中で四方田氏が、「かわいい」を一番毛嫌いしているのは上野千鶴子であろう、といっていたが、そう言えば第51回ヴェネツィア・ビエンナーレの日本館コミッショナー、笠原美智子氏もフェミニストだった。

当時の一連の「かわいい」作品群は、確かに未成熟で、幼く、庇護を求めるような弱々しさがあり、それ故一部から反感を買うのは、今となっては理解できる。何よりも男性的な視点で未成熟さを肯定しているようにも見え、それを嫌う人たちは、このようなものが日本の代表的な文化であっていいはずがない、日本にはもっと文化として、立派に海外に発信できるものがある、と言いたかったのかもしれない。

しかし、少なくとも美術に限って言えば、当時の「かわいい」には、それまで我々が目を瞑って見てこなかった、もう一方にある我々自身の文化的に「未成熟」な情けなさを直視させる強さがあった。しかし、それを(当時の)日本文化の現状である、と提示して見せた村上隆氏の実績に対しての国内の評価は、あまりに過少評価である。日本は自身の「未成熟さ」を見せつけられても、そうであるが故に認めることも向き合う事も未だできない。

この数年、「かわいい」という言葉を以前程の頻度で聞かなくなった。以前、建築の分野でも妹島和代や石上純也など、名だたる建築家が建築の検討、講評の際に「かわいい」という言葉を使っている、と知ったときには、従来の芸術分野にそぐわないこの美学が、システムを内側から食い破るのではないか、と真剣に考えたが、それは恐らく私だけではない。

現在、絵画は保守的な作品が以前よりも多く見受けられる。(あえて具体例はあげないが)とても作者が20代とは思えないような古風な作品が注目を集めることも多い。

さて、保守的である事と、安易なナショナリズムが結びつきやすいという事は例をあげるまでもないが、明治や大正を思わせるような「日本的」な作品もまた増えている。2020年には東京オリンピックも控えているが、おそらく、この安易な「日本的」な文化もまた、海外に向け発信されるのだろう。それは「かわいい」を拒否した一部の人たちがもてはやす、立派で伝統ある「日本的」な文化かもしれない。しかし、理想的な人間像が生み出す理想的な文化観というものは、矛盾を突きつけられ、終わったはずのモダニズム的な価値観の残滓であろう。それはどこか演技がかった虚しさと、時代錯誤の付きまとうものでもある。なぜ今、古い時代を焼き直すのだろう。

どちらにしろ、かつて「かわいい」と呼ばれた美学が持っていた一つの可能性が、芽を出した途端に潰えたのだ。それはアートの内側に限って言えば、批評の機能不全が原因であったかもしれないし、我々の現状の文化と向き合えない、無知蒙昧さが原因だったかも知れない。

恐らく、明治以降これまでの各時代の文化的な変わり目で、堕胎してしまった可能性は「かわいい」だけでは無いのだろう。ただ、我々はそれらをすっかり忘れて、コメディのように繰り返しているだけである。

美術史が停滞している その2

前回からの続き

さて、席次表である。私はデザイナーに倣い、条件を整理する事にした。まずクライアントである愚弟の要望を聞かないといけない。聞いてみたところ、「サイズはA2、春らしい雰囲気で」と告げられた。

そもそも席次表はご出席頂いた皆様全員に配るもの、というイメージが強かった私は、弟の言う大きなサイズの席次表、という物はいまいちしっくり来なかった。そこで、愚弟の思い描いているものからかけ離れてもまずい、と思い、参考になるようなイメージ、画像を送ってくれるよう依頼した。それがこれである。

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小さすぎて字が読めない。かつイメージを伝える気持ちが全く感じられない。なめられている。これは換言すると「なんか適当にいい感じのもの作っといてな!」ということだろうか。全く気は進まないが期日が迫る。兎に角当たり障りのないラフイメージを作り送った。(実際は名前が入っているが)それがこれである。

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我ながらもう少し何とかならなかったのだろうか。

残念ながら何ともならない。しかし全力は尽くした。そもそもイラレが何年使っても上手くならない。加えて、こういうものを作っている時いつも思うのだが、私の作る物は二昔ほど古い気がする。

それらの雑念を何とか無視しながら、デザイン(のようなもの)に取り組んでいた私はここで一つ引っかかる事が出て来た。A2って小ちゃくない?と思ったのだ。会場がどれくらいの大きさか知らないが、ご列席の皆様は字が見えるのだろうか?文字の大きさは5〜6mmである。読めるわけないやんけ。そう思った私はもう勝手にA1にサイズを変えた。

そしてそれとは別に、もう一つの懸案事項であるデザインの不味さを何かで埋めなければならない。しかしそれは原理的には埋める事など出来ない欠落である。不味いデザインはどうやったって不味いのである。このまま普通に出力しただけでは間が保たない。しかし何とかしなければならない。だって慶事である。私はある奇策に出た。半立体にしよう、と唐突に思いついた。工芸的な要素を足せば、手数が増えれば、少しは間が保つかもしれない。今振り返れば間抜けな考えである。日本人はすぐ技巧に逃げる。そして出来上がったのがこれである。

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追いつめられた人間とはおかしな物で、イラレでデータを作っている時は、自動のカッティングマシンでパーツを切り出すつもりでいた。データが出来上がってから、カッティングマシンなんてこの部屋のどこにあるんや!!と気付き、カッターナイフを1本握りしめたのである。

もう少しかわいい物を作れば良かった、と反省している。しかし、作っている時は、形状や色の検証まで手が回らない。カッター1本では作業効率があまりにも悪い。いや、このカチっとした雰囲気は、愚弟の年齢や職業、性格、会場をもとに決定したのだ、いわゆるペルソナに準じた結果だ、と自らに言い聞かせてつくった。

そしてとりあえず完成させ、送った。間に合った。これで良かったのだろうか?やはりもっとかわいく作ったほうが良かったと完成してから後悔する。このような拗れた自意識も、私がデザイナーに向いていない点だろう。とにかくおめでとう。暖かい家庭を築いてもらえれば、もはや出来ないデザインをさせた事は何も言うまい。

ところで、私が盛大に時間と気力をかけ席次表を作っている間、美術関係の友人、知人には様々動きがあった。3月のこの時期、大きな公募展やアートフェアが行われるのだが、まずは公募展である。「岡本太郎現代芸術賞」では國久真有さんが特別賞を受賞し、「FACE2019損保ジャパン日本興亜美術賞」では奥田文子さんが優秀賞を受賞した。私は國久さんの「よかったら見に来てね!」の連絡に文字を打つ指をふるわせながら「観に行きます」と返信し、奥田さんには同じく震える指で「おめでとうございます」と送った。

さらに、たまたま立ち読みした「アートの値段」と題されたPenでは、京都のアートフェア「ARTISTS’ FAIR KYOTO 2019」が特集されており、黒宮菜々さん、石原梓さん、香月美菜さんの作品が載っていた。思わず、「おれのとこにも取材来いよ!」と心の中で絶叫したが、席次表を作っている男のところに取材は来ない。もちろん賞ももらえない。

ようやくタイトルの回収である。私が絵を描かない限り、美術史が停滞する。大きく出た。もちろん私抜きでも勝手に優れた作品は見出され、美術史は紡がれるのだが、なんか少しでも関わって「アート」なるものに影響を与えたいのだ。なぜなら本来の私は、◯◯賞をとったよ、とかアートフェアに出品するので良かったら見に来てね、とか言う方の人間なのである。前述の才能ある方々に一歩もひけを取らないはずである。いや、言い過ぎた。さすがに黒宮菜菜さんには一歩劣るかもしれない。

上手く言えないけれど、ジョッキで煮え湯を飲まされ続けながら慶事に参加したような、うれしいのだけれどとにかく悔しい3月であった。

美術史が停滞している その1

*大げさなタイトルだが、今回の内容はほとんどは私のグチである。だから本当に時間を持て余してどうしようもない人だけお読み頂きたい。

弟が結婚する。それ自体はおめでたい事である。両家の顔合わせや挨拶も恙無く進み、後は結婚式だけである。兄としてはうれしい限りである。季節は春に向い、少しずつ暖かくなっていく。穏やかな春は物事の始まりを予感させる季節でもある。そんな時期に、ついに弟も家族を持つのかと思うと感慨深いものがある。

しかし、ここで私に思ってもみない、重大すぎる問題が勃発する。いや、「思ってもみない」と言えば嘘になる。心のどこかで危機感を感じていたが、気付かないふりをしていたのだ。もしかしたら美術系の大学出身、在籍の方にはよくある事かもしれない。

俗に言う、「◯ ◯作って」問題である。これは特に結婚式関係で多い。

「ウエルカムボードをな、作って欲しいねん!」とか「メッセージカードをデザインしてほしいねん!」とか、何故か美術系、というだけで周りから言われることが多い。今回私が受ける依頼は「席次表」だそうで、それは一枚一枚配るという物ではなく、お越し頂いた皆様全員がそれを見る大きな物を私が1つ作り、それを会場に設置するということらしい。それを告げられた時、私は曖昧なつくり笑顔を浮かべながら、何とか断れないかと必死に考えていた。

「断らんとそれくらい作ったれや!」と思う方も多いだろう。何を言っても慶事である。出来るなら、私も快く引き受けたい。しかし。

もし、これを読んでいるあなたのご家族、友達に藝大美大の人が居たとして、この手のものを頼みたいと思っているのなら、まずはその人の所属学科を確認すべきである。その人が「美術学科」なのか、「デザイン学科」なのかは、この問題において非常に重要である。

なぜなら美術学科に属する人の多くは、デザインが出来ない。意外かもしれないが、事実である。

私は美術学科出身である。もちろん私も出来ない。なぜなら美術学科は「絵」を描く学科だからである。

「絵画」も「デザイン」も似たようなものじゃないん?と思う人も多い。本当に多い。しかしこれはあの有名な将棋マンガ、「3月のライオン」と「月下の棋士」くらい違う。

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この2つのマンガを読んで知っている人なら、将棋がテーマってだけで全然ちゃうやん!別物やん!と思う事だろう。そう、絵画とデザインは基本別物である。

もう少し例を出せば、数学と物理、野球と水球、麻雀とドンジャラくらい違う。そもそもルールそのものが異なる、全く別のものなのだ。全く関係ないが、私は哭きの竜も好きである。能條純一のファンなのだ。

私は折に触れ、「美術」と「デザイン」の違いを周囲には出来るだけ丁寧に伝えてきた。しかし全く伝わっていなかった。しかも家族に。

こういう不幸を連鎖させない為にも、ここで「絵画」と「デザイン」の作り方の差をはっきりさせたい。本来は中学校や高校で、この程度の差は理解できるようにカリキュラムが組まれるべきだが、「図画工作」や「美術」で一つに括ってしまう学校では、本当に表面的な事しか教わらない。きっと教師も分かってないことすら分かっていない。

「車」を例にとって説明しよう。

車をデザインしたい時、まず決めなければならないのは「何に使われるか」という部分である。いっぱい荷物を乗せて配達に使いたいのに、荷室が小さければ使用目的と合わない。目的に合致するように、車自体を大きくし、荷物を積めるスペースを確保しなければならない。また、荷室を広く効率よく使用する為には、車高は高く、見た目は四角くなっていく。

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反対に、カーレースで使うような速い車の場合は、コーナーで姿勢を安定させるために車高は低く、空気をスムーズに受け流すため、外見は滑らかになっていく。

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ここで重要なのは、デザインは物理法則を無視出来ないので、「荷物は一杯積めるけど、めっちゃ速く走れる車」は作る事は出来ない。論理パズルが上手く組み上がらないのである。考えればすぐ分かるが、荷物を一杯積んで高速コーナーに突っ込めば横転するのみである。

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逆に、「絵画」であれば、車の使用目的なんか気にする必要はない。荷物が一杯詰めて、めっちゃ速く走れる車だって「絵」にするのは簡単である。空だって飛べるし、なんなら光速も超える。そんなの作者の設定次第である。

「デザイン」はどうやっても現実とのリンクを外せないが、「絵画」は簡単に現実と切り離せる。もっと言えば、「デザイン」にはクライアントが居て、目的があり、予算内でその目的を達成する必要があるのだ。先述の配達車が、荷物は一杯積めるけど、車の価格が4000万だったら、とてもじゃないがペイ出来ない。その為に、デザイナーはまず前提条件を整理する。車の例でいうと、どれくらいの市場規模で、競合商品にはどういった物があるか、ターゲットはどういう層になるか、そういった部分を整理していくのである。ちなみにその商品やサービスを利用するもっとも典型的なユーザー像をペルソナと呼び、詳細なペルソナを設定した上でデザインは行われる。それは性別や年齢はもちろんの事、職業や性格、果ては家族構成や収入まで設定し、デザインは設計されていくのである。

話が大きくなった。席次表の話である。あくまで絵画が専門の私が、どれだけの苦行のもとデザインに似ているが決定的に違う何か、を行い、席次表を制作したのか。それは次回に続くのである。

冷たい雨はいや

この三連休は色々と用事があり、京都へ行った。

京都へ行ったついでに、ふと思い立ち、京都市立芸術大学の卒業制作展にも足を伸ばしてみた。どこかの美術系の大学の卒業制作展に行くのは、恐らく14、15年振りで、学生の時でさえ私はほとんど他校の卒制には行ったことがなかった。

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にも関わらず、久々に、久々すぎるが卒制なるものに行こう、と思い立ったのは2つ程理由があって、1つは、今や有名人になりつつある日本画の井上舞さんが、今年で大学院を卒業だと言っていたのを思い出したこと、もう1つは、今の20代の人はどんな作品を描くのだろう、という好奇心が、少し前から私の中に燻っていた事、が挙げられる。20代前半の人の作品を見る機会がほとんど無くなってしまった私は、一度まとめて若い人の作るものを観て、現状の「絵画」を定点観測しておく必要があるなぁ、と最近思っていたのである。

バスに迷いながら、大阪で暮らす私にとっては京都のバスは分かりにくくて、ほんとに迷いながら何とか雨の京都市立芸大に到着した。

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ちなみに京都のバス路線図は、このくらいの大きさだとどうなっているのか分からんくらいの集積度である。旅行者には優しくない。

あまり時間もなかったので、絵画を中心に観てまわったのだが、出展されている作品は、皆とても作品としての完成度が高く、上手かった。

四回生とか大学院生の作品になってくると、油画も日本画もテーマやコンセプトもしっかり練れている物が多く、見応えがあり、その心象が影響するのか、廊下ですれ違う学生の顔つきもみんな大人びて見えたし、お客さんに自分の作品の説明をする話し方もとてもしっかりしていた。私がこのくらいの年頃の時は、いつも半分口を開きながら歩いていて、担当の先生には「お前もうちょいしっかり作品の説明せえや。。。」と言われることも多かったが、その時も、半分口が開いたままだったのでほとんど気にもしなかった。全く違う場所、学校なのに、当時の事をつい思い出してしまう。

とはいえ唯一つ、今回の卒制展で気になった点といえば、それぞれの作品のタイトルだろうか。具体的な言及はあえて避けるが、作品のタイトルがどこかで見聞きしたような物が多く、それは暗に、作る側の「絵画とは、こういうものである」という固定観念を示唆してはいないだろうか。

作品とタイトルは無関係ではいられない。そもそも、無関係であれば作品のタイトルとして成立しない。タイトルがどこかの美術館やギャラリーで見た先行世代の作品と、同じ語彙、文法の範疇でつけられているのであれば、必然、絵画の内容や形式もそれらと相似形をとっている事は多い。それほど絵画と言語は結びつきが強いのだ。

言語によって、自身の中で未分化な私/絵画を分節し、絵画にするべくキャンバスにアウトプットする。それは観念に受肉させる行為だ、と言い換えてもいい。絵画とは、言語とは別の仕方の世界の分節の方法だ、と私は思っている。しかし、前述の固定観念が強ければ、筆の運びや画面の処理、構図、色の選択が無意識に縛られ、見た目の差異だけを同語反復的に作り出しかねない。そうなると制作は早晩行き詰まる。「いや、自分は自分の描きたいものを、あまり誰の影響も受けず描きたいように描いているよ」という人もいるだろうが、それ自体が絵画の一つの定型の作り方だと言う事は、指摘しておきたい。

自分自身の選択が何に依って規定されているのか、それを客観視すること。自分の考えは自分が思う程主体的ではないこと。この2つを早めに知る事が、この行き詰まりを回避する方法である。行き詰まった時、間違っても、量を描いて解決しようとしてはいけない。まず今の行き詰まりが何に由来する物なのか、問題の構造を把握することを勧めたい。

作品を見て回る内にふと、「卒業制作展」だから出展してる人の大半はこの春から社会人になるのだろうか、と思った。就職したりするのだろうか。これだけ高いレベルの作品を作っていても、作品を販売して生計を立てる、というのは難しい事である。ならば就職して、会社の仕事をしながら、もしくはアルバイトをしながら制作を続けるということになるのだろうが、生活との折り合いがつかず、途中で制作を止めてしまう人が多い事も、私は経験的に知っている。

卒展の期間はこの三連休のみだったようで、行ったその日がたまたま最終日だった。こんな日くらい晴れていればいいのにと、冷たい雨が嫌いな私は思った。

 

 

めっちゃどうでもいいはなし まとめ編

前回前々回と、私の身の回りで起こった出来事を標準語と大阪弁の両方で記述してみた。私としてはどちらのバージョンも真実に思え、しかしどちらも何かを捉え損ねている、と思うのだが、こうして比較してみると二つの話は意味合いや登場人物の関係性が全然異なる。

前から気になってはいたが、大阪弁は真面目な話をするのに向いていないような気がする。その独特のテンポ、間が、ボケとツッコミを前提にしていて、どうにも真面目な話が出来ない。

対して、標準語のテンポは笑い話には向いておらず、どう作っても真面目な雰囲気になる。

同じストーリーでも大阪弁で語るのと、標準語で語るのでは、キャラクター造形や話全体、行間の意味合いが変わってしまう。

日本語の中でもこれだけニュアンスが異なるのだから、日本語と外国語の間にはさぞ訳しにくいニュアンス、概念があるのだろう。言語とは、当然その言語圏の生活と密接に関係し、それらを価値観ごと詳細に映し出す鏡である。

以前、ウィリアム・ギブスンの「ニューロマンサー」を読んだ時のことである。この作品は、猥雑で退廃的な近未来(1984年当時から見て、であるが)的な世界観の中、主人公たちが、マトリックスと呼ばれる電脳空間で最も危険なコンピュータ複合体をハックする、というアンダーグランドなあれこれを描いた物語なのだが、この中にディクシー・フラットラインなるハッカーが登場する。彼が「フラットライン」と渾名される理由は、かつて電脳空間に没入(ジャック・イン)した際、脳波が水平(フラットライン)になった、つまり脳死したように見えたけど生きて帰ってきた、という中々かっこいいものである。しかし、このかっこいいフラットライン氏、西部出身で訛りがある、という設定のせいで、訳者である黒丸尚に「おら」という一人称を充てがわれているのである。しかも「フラットライン」の渾名の理由を説明される場面で、あろうことか「おら、おっ死んだ。」というセリフを吐かされているのである。凄腕のハッカーであるフラットライン氏はそんなセリフ死んでも言わない。そんなセリフを言うのは日本昔話に出てくるクワを担いだ農民の「ふらっとらいんどん」である。

また、退廃した世界観の中、主人公のケイス含め麻薬中毒者が複数出てくるのだが、私としてはケイスがトリップする場面は、映画トレインスポッティングに出てくる若かりし日のユアン・マクレガーの、ヘロインで恍惚の表情を浮かべる場面で再生したいのだが、黒丸尚の湿気た奇妙な文体のせいで、それは「仁義なき闘い」の、四畳半の畳の上でステテコに腹巻きのチンピラがヒロポンを打ち、「あ゛あ゛ァーーー!!」と叫んでいる場面になってしまう。

かように、言語は意味やイメージ、生活習慣と深く結びつき、深層から我々の行動を規定する。

私は生まれてからずっと大阪弁で話しているので、もう真面目に物を考えることができないのではないかと思う。ネイティブな大阪弁の私はもはや身の回りで起こった出来事さえ、笑い話調でしか書き起こせない。

アート、もしくは美術は言語と密接な関係がある。しかしアートも美術も元はと言えばヨーロッパからの訳語、輸入の概念である。一人称が「おら」と訳されてない保証はない。しかも私は、大阪弁でしか世界を記述できないが、世界を記述するには大阪弁では不十分なのだ。そうだとすれば、私の「美術」に出来ることは、アメリカ、ヨーロッパの「Art」の文脈で作品を組み立てるのではなく、「今、ここ」のドメスティックな時代の体温を切り取ること以外に無いのかもしれない。

 

 

 

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2015

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