考えた時には、もう目の前には無い

例えば、「じゃあまた」と言って別れた友人に、なぜかそのまま会えなくなってしまったり。

その時はすぐ会うつもりで、だからちゃんとした「さよなら」なんて当然言ってないのです。後から、もっとちゃんとした「さよなら」をしておけば良かったと思うのですが、やはり、すぐ会うつもりだったので、そんなものはしていないのです。

相手も同じように、またすぐ会えると思っていたのでしょうか。それとも、実はもう会わない、会えないと思いながら「じゃあ」と言っていたのでしょうか。この冬はとても寒かったので考えが上手くまとまらず、普段考えないようなおかしな事ばかりを考えてしまいます。

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「人は変わる」ものですから、次に会うまでの間に、目の前のお互いは見た目も中身も別人になっているかも知れません。思えば、自分が一番大きく変わった、と初めて実感したのは26歳の時でした。今まで2〜3日放ったらかしていても気にならなかったヒゲが、その頃から毎日剃らないとどんどん伸びてくるようになったのです。そんな小さな事か、と思われるかも知れません。しかし、自分の身体は意思とは無関係に変化する、という事実を知る経験は、新鮮さと不気味さが混じりあった初めての感覚を伴う衝撃だったのです。

おかしなもので、外見が少し変わると、それにつられて今までの習慣が変わり、次いで物の見方や考え方にも変化が現れるのです。(肉体的に)少し大人の男性になった事を自覚し始めた当時の私は、自身のその落ち着きのない立ち振る舞いが、妙に気になり始めたのです。それからさらに数年が経ち、似たような変化を数度、経験しました。

会えなくなった友人に、会っていたその時の自分が何を考えていたのか、何を思っていたのか。時間が経ち、視点が変わってしまった今の私はその友人を見つめることが出来ません。相手も恐らくそうでしょう。

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いや、なんで今回こんなメロウな文章かというと、久しぶりに連絡した古くからの友人、友人というよりはもう身内に近い感覚だった人に「子供が出来たよ!」と告げられ、「もっと早よ!!生まれる前に言えや!」となったからです。しかし、もう若くない私は、勢い良く「早よ言えや!」と彼には言えず、もやもやしています。思い出せば、ヒゲを毎日剃るようになった26歳の頃、もう一人の身内のように思っていた友人の結婚を、たまたまコンビニで立ち読みした雑誌で知りました。(彼も絵を描きますが、当時名前を売ろうと躍起になり、度々アート系の雑誌に出ていました。その時はかろうじて「言えよ!!」とその場で電話した気がします。)

二人しかいない身内の人間のどちらにも、大事な事を言ってもらえなかったよという話でした。前半の情緒的な文章はただの前振りです。画像はもちろんイメージです。

この冬は特に寒く、こういうのを冬寂というのだな、と違うけど思いました。この数日は暖かくなってきたので、それだけが良かったと思います。

飽和した世界の為のデザイン 後編

前編からの続きです。

車を使うと生み出される二酸化炭素や排気ガスなど、それらが問題となり動力がガソリンから電気へとシフトされつつあります。現在でもガソリンと電気のハイブリットや、水素、燃料電池など、様々な動力に対しての試行錯誤が繰り返されています。ハイブリッドで有名なプリウスって今いろんなバリエーションあるんですね。

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ここで一つ注意して考えてみないといけない事は、ガソリンで動く車が、近い将来電気で動くようになったとして、今の社会が抱えている問題はどの程度解決されるのか?という事ではないでしょうか。確かに排気ガスが出なくなれば、温暖化や大気汚染という問題は減るかも知れません。しかし、ガソリンで賄っていた動力を電気にシフトすれば、当然、全体的に電気の需要は高まります。

その状況にあわせて発電所を増やすというのは難しいでしょう。火力発電であれば天然ガスを輸入し、それを燃焼させなければ電気は得られません。海外からの輸送+燃焼時の二酸化炭素や排気ガスが上乗せされるので、「車が排出する二酸化炭素が減る」かもしれませんが、社会全体では見た目程変わらないのではないか、と思ってしまいます。だからと言って原子力発電の量を増やす、という選択肢には反対の人も多いでしょう。3.11の震災以降、電気はもはやお金を出せばいくらでも買える、というものではなくなりました。

それに加え、車で移動が楽になる、という事は反面、歩く機会を失うという事でもあります。人間の身体は、運動する事を前提に設計されているそうですが、歩く機会、走る機会を失うという事は、中年以降は特に肥満に直結します。

現在、日本の国民医療費は、高齢化とも相まって国家予算の半分を占めるようになりました。太平洋戦争に突入する直前の軍事費が、国家予算の半分だったことを考えると、十分な異常事態です。全てとは言いませんが、10代、20代の頃からの運動習慣で社会全体の医療費を抑える事が出来るなら、いっそ軽めの運動を義務化してしまってもいいんじゃないか、と思ってしまいます。

そういえば前から思ってたんですが、車での「通勤」って減らせないもんなんですかね?不思議で仕方なかったのですが、なぜ太った中高年の方ほど、車を通勤手段として使うんですかね。歩けばいいのに。

個人の利便性や快適性を優先し、全体の事は考えずに車を使う、といった旧時代的な、社会の脂肪部分からしか生まれないような感覚はもう捨てなければなりません。そうは言っても、もうそんな奴おらんやろって言われるような古い人が、若い人からは到底理解も想像も出来ない古い考え方が、未だ社会には溢れているのも事実ですが。。。

多くの人が歩いて肥満が減れば、全体の医療費も減るかも知れません。毎日の車の使用頻度が減るので、温暖化ガスの排出量も減ります。

今まで、個人がただ楽をする為に、本来人間が行うべきような事も過剰に機械に代替させていました。その過剰な部分が人間の脂肪となっているのかもしれません。現状社会全体の慣習や制度も、割と脂肪過多な状態です。その辺りのスリムアップを行い、必要なエネルギーを必要な分だけ使うようにする、という制度設計、自然にその方向に意思が向く、ルール設計やガイドとしてのデザインが求められています。

デザインは売れる商品の見た目を作るツールでは決して無いのです。社会倫理と経済の間でバランスする、制度という目に見えない土台をデザインし、作る事が「飽和した世界の為のデザイン」なのかもしれません。

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写真は「地域社会圏モデル」という建築の本の中で提案されている、400人が1単位で暮らす為の住宅の模型です。1つの住宅に1家族が住むというモデルが、現在の硬直した日本の運営システムをつくり、それがいまや大きく破綻していると考える山本理顕氏による問題提起の答えとして、建築家の中村拓志さんが提出されたモデルです。他人と暮らせば境界線の引かれ方、プライバシーの在り方も、家族とのそれとは大きく変わります。新たな公共空間と個人の生活を構想し、そこから社会制度までリーチを延ばして再考しようという試みです。こういう考え方ってすごいなあと本当に思います。(*画像が悪くて申し訳ありません。)

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これを見る限り、「飽和した世界」で求められる自動車のデザインは、もはやガソリンの代替を考えれば済む、という問題ではないようにも思います。

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この前から本屋さんで「乃木坂文庫」なるコーナーを見かけるようになりました。人気の乃木坂46のメンバー1人1人が文庫本のカバーを飾っています。計46作品。中には芥川龍之介や遠藤周作の文庫もあります。芥川の「藪の中」の表紙が乃木坂か。。。すごいな、広告代理店。調べてみると普段より売れているようですね。

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カバーの写真の構図やそれぞれの表情が似たようなものだからなのか、グループとしてメイクや衣装で統一感を出している為なのか、アイドルに興味の無ければ「みんな一緒に見える…」と思ってしまいます。

一方で、彼女らの個人名を検索すれば、それぞれ別の結果、事柄が出てきます。グーグルは区別がついているのですね。という事は、彼女らが「みんな一緒」ではなく、社会の中でそれぞれ影響力と差異、固有名詞をもった有名人である事を示しています。当たり前か。そうでなければ広告代理店が文庫の表紙にしよう!とはなりません。現にアイドルが好きな人達は簡単に誰が誰か見分ける訳ですし。逆に、そこにある差異に気付けないこちら側に問題があるのかもしれません。「みんな一緒に見える」という感想こそ、(アイドルに興味の無い人達が持つ)最も一般的、定型的で、数多い感想です。

そこまでぼんやり考えた時に「そんなありきたりな感想しか出てこん自分のレセプターこそ『みんな一緒』の量産品か…他の皆が口にする、誰が言ったんかさえもわからんようになるみんなと一緒の感想を言葉にして口にしてしまった…」と思い至りました。普通に社会生活を送っている以上、思考パターンも感覚もある程度「みんなと一緒」であることから逃れられる訳が無いのに、絵を描く人間はすぐそういう風に考えます。

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ある人にはとても大切なものに思え、ある人には何一つ意味を持たない。そう言えばアイドルの語源を辿ればidol=偶像となり、さらに遡ればicon=聖像の語源とも重なります。中世の人たちも十二使徒を眺めながら「みんな雰囲気が似てて区別がつかん…」「この中の誰がヨハネよ?」とか「イスカリオテのユダなら分かる!」とか言ったんでしょうか。「エル・グレコの描くヤコブは今までで一番かっこいい!」とか信仰の浸透を手助けしたのかも知れません。

時代が進んでも偶像の機能の仕方って根本的にあまり変わらないんだなぁと思った話しでした。

 

飽和した世界の為のデザイン 前編

スズキの軽自動車、ジムニーが20年ぶりにフルモデルチェンジするそうです。

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若い人は「車の話は興味がないわー」と思うかも知れませんが、我慢して読み進めて見てください。

ジムニーは本格的なオフロード車として評価の高い車ですが、アメリカのJeep Wranglerと比べるとエンジンの排気量は1/5、サイズは3/4、重量は半分以下と格段に小さな車です。ジムニーは日本独自の「軽自動車」という規格で、それは世界のどの車と比べても、パワーもサイズも最小の規格です。

しかし、ジムニーは小さいが故の軽量性と、それに見合わない本格的な車の作りで、パワーがなくとも悪路をがんがん走破できる車として昔から人気があります。

私が初めてこの車の事を知ったのは2009年、「飽和した世界のためのデザイン」という展覧会の記録をまとめた本の中でした。

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いたずらにパワーを上げて走破性を高めるのではなく、最適な重量、サイズとパワーの関数の中で大きな車にも負けない走破性を実現する、という日本的なアプローチの車として紹介されていました。

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私は現在、会社の仕事で軽自動車に乗りますが、大阪梅田や難波のややこしい道、細い道では、小さな軽自動車は運転しやすく、あれだけ車の多い道でもUターンや縦列駐車も簡単で、日本の道路事情に合った規格だなぁといつも関心しています。

昔ペーパードライバーだった頃は全く車に興味が無かったのですが、今のように毎日運転するようになると運転自体が面白く、そうなってくるとスポーツカーというジャンルにも興味が出てきます。

若い人は「スポーツカーなんてもっと興味がないわー」と思うかも知れませんが、我慢してもう少し読み進めてください。

いつか買えるといいなと思っている車はトヨタの「86」という車です。

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こちらもスポーツカーとしては車体は小さく、パワーに関しては「非力」と揶揄されるような車で、最新のハイテク機器も装備されていません。外国のスポーツカーに見られるような公道上ではほとんど使えないほどの強力なエンジンや、レーシングカーばりの高機能を追求するのではなく、30年前からあるクラッシックなアイディアを用いて、運転する事•走る事そのものの楽しさにフォーカスした車です。

日本より海外での評価が高い車で、「まるでポルシェのケイマンのようなすばらしい車」という試乗記(*記事の中のBRZと86は、外見と細部が少し違うだけの同型車です。)も見かけるほどです。発売翌年の2013年には「2013 WCA(ワールド・カーアワード)」のイヤーカー受賞候補車に残っています。他の候補車が4000万円以上する事を考えると、250〜300万円程で買えるこの車の評価の高さが伺い知れます。

運転の楽しさなんて分からんわーと言う人はこの動画をどうぞ。めっちゃ楽しそうですね。

さて、フランスでは先日、2040年までにガソリン車の製造を0にする、と発表があったそうです。となるとこれからの自動車は電気自動車がメインになるのでしょうか。それだけ環境に配慮しないといけない状況になってきている、という事でしょうか。

日本では日産が電気自動車に力を入れています。日産はフランス•ルノー傘下なので、電気に力を入れているのかもしれません。余談ですが、私は日産の車だけは買わないと決めています。それは三菱自動車に対して、まるで投資銀行がするかのような買収を行ったからです。自動車会社が自動車会社を買収する。すごくフランスっぽいなぁと思います。

しかし一方で、車を維持していくという事は所有者だけでなく、社会全体にコストが掛かります。車から排出される二酸化炭素だけでなく、森林を切り開いて道路を整備したり、広大な工場を作ったり。その上、交通事故での死亡者や負傷者も(通常の経済学では換算されませんが)自動車を維持していく為の社会的コストと捉える考え方もあります。

「経済の未来(以文社)」という本の中で、興味深い話が出ていたので以下に引用します。『ある国の大統領のもとへある者がやってきて、次のような取引を持ち出した。「貴国の経済は調子が悪いですな。私が立て直して見せましょう。そのために最新技術をお譲りしましょう。するとGDPはいっきに2倍になりますぞ。ただその代わりに、貴国の人口から毎年2万人の命をもらいたいのですがね」これを聞いた大統領はうろたえ、申し出を拒否した。拒否するのが当然であろう。彼が拒否した最新技術の発明とは、自動車の事である。』

ジムニーや86のように車のサイズを環境に対して最適化する事で、これからの時代に対応していけるのか、それとも根本から動力の見直しという大きな転換を、日本の自動車産業は強いられるのか。

どうやら大転換を強いられそうですが、そのあたりは後編に続きます。

8月15日

毎年この時期になると、NHKやBSで戦争の時のドキュメンタリーをやっています。戦地から生きて帰った人のインタビューとか、特攻の映像とかを見るとほんの70年前の出来事とは思えません。「兵隊を特攻させるくらいならもう降伏しよう」とはならなかったんですね。

戦争中は、少しでも国の政策に反対すると非国民と罵られたそうですが、それがどんな状況なのか、現代で暮らす私としては上手く想像する事すら出来ません。

戦争が始まる前、世間が不穏な空気に包まれ始めたその時に、誰かが「ちょっとおかしいんじゃない?」とか「それは違うと思う」と違和感を口にし、それを周りが真摯に受け止めていれば、その後の展開は少し変わったものになっていたかも知れません。

いつでも、誰でも気軽に「それは違う」と言える社会の柔軟性が民主主義の根幹であり、その上に芸術やアートと言ったものが乗っかっています。しかし日本の社会や会社、学校は年功序列もある上に同調圧力も強いので、「それは違う」というのも中々一苦労です。戦中から続く、日本の風習、慣習の悪い面が呪縛のように今も続いているのかも知れません。

画像は藤田嗣治の「アッツ島玉砕」という作品です。

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戦意高揚の為の「勇猛果敢な戦地の兵隊」という幻想を描かず、目の前の生々しい現実を描いたため軍部から「これはどうなんよ?」と言われ、戦後は戦争画に加担したと社会から非難され、まわりに同調しなかった為についには日本を捨てる事になった画家です。その時の場の空気に沿ってしか発言できない人間ばかりで、日本に愛想が尽きたのかも知れません。

敗戦から70年、私はスプラトゥーンでしか銃を撃つ事はありません。70年で藤田の絵と比べ爆発的に彩度が上がりました。

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いい年の大人がゲームで銃を撃っていると、お前は遊んでばっかりだとかもっと頑張って働けとか非難されがちですが、そうして過ごせる社会は、誰が何と言おうとも(兵隊が戦地で銃を撃っていた昔よりは)良い社会だと思います。藤田の作品との色彩のコントラストが凄まじいです。これから灰色の時代に逆行しないことを強く願います。

展示のお知らせ その2

6/26~7/1まで、東京銀座のGALLERYARTPOINTでPrologueXIII展に参加させてもらってます。

私は2点展示しておりますのでお近くの方は是非お立寄り下さい。

 

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展示の様子はこんな感じです。

 

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今話題のGINZA SIXから徒歩1分!是非お越し下さい。

7/1のみ在廊します。

展示のお知らせ

久しぶりに東京でグループ展があります。GALLERY ART POINTで6/26~7/1の間ですので、お近くの方はぜひお越しください。最終日の7/1のみ在廊しています。よろしくお願いします。

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「美術」の主語は誰か

巷では「写実絵画」がブームだそうです。以前に比べて価格が2倍、3倍に上がっていると、たまたまWeb版の日経新聞で見かけました。

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そう言われてみれば最近「写実絵画」、その中でも一昔前に美人画と呼ばれていたような作品を見かける事が増えてきた気はします。

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こんな感じの。黒田清輝のような雰囲気の絵を見ることが多い気はします。

しかし、現代において、写実的•再現的な絵画を見る時、私の頭を「絵画とは何か」というモダニズム的な、少々古めかしい自己言及的な問いがよぎります。

例えば、椹木野衣氏の「日本•現代•美術」や北澤憲昭氏の「眼の神殿」、佐藤道信氏の「美術のアイデンティティー」など、90年代後半頃から美術の制度史的な面にフォーカスを絞った本を見かけることが増えました。これらの本は明治に輸入された「美術」という概念が日本の社会に、民衆にどのように受容されてきたか、もしくは美術という制度を通して受容を強いてきたか、が論じられています。

あまり言及されませんが、美術とは「制度」なのです。

それは美術が「アート」に名称を変えた現在であろうと、その事だけはどうしようもなく変わらず、美術(アート)とは「見ることの制度」なのです。

『いや、だからさぁ!もっと広い意味で捉えりゃ!美術そのものも!なんちゅうか見ることの〈制度〉ということは出来ひんか?美術への構造主義的、記号学的アプローチが可能とゆうんであれば、この点でやろ!?けどさぁ、この種のアプローチじゃあコードが「見ること」の側じゃなくって、「見えるもの」の側にばっか求められとんちゃう?その場合は「見えるもの」、まあとりあえず、微妙に違うんやけど一旦「記号」と言い換えようや、「記号」がどんな状態に置かれとろうと、常に、既にあるもんっちゅうか、無条件に固定されたもんちゅうか、いつもおんなじもんが想定されとる!けどやで、「記号になる」瞬間ちゅうの?そういうもんが考えられるべきちゃうんかな!「見えるもの」—ひとつの色彩、ひとつの対象—がそれ自体で「記号」ちゅうわけではないんよ!それは多分、ディスクールの実跡のなかで記号「になる」んちゃうか?理解できんか!?お前にも解るように言うたろう!「見えるもの」が記号になるんは!例えばひとつの林檎が「静物」と呼ばれるとき!例えば美人のおねーさんが「美人画」と呼ばれるときちゃうかっつってんの!それは林檎を描いたり、美人さんを描いたりすることがそれ自体で絵として成立してまうこと、もっと言えばそれが「美術であること」を合図しとる!それは既にディスクールやろがって事じゃ!』

まぁこんな荒い語気でも、関西弁で言ったわけでもないでしょうけど、40年くらい前に美術と制度の問題を指摘したのが宮川淳氏でした。

美術やアートとは、その制度を自覚し、その枠から出ようとする、もしくは拡張しようとする行為の謂いであるのだ、と私は主張します。そしてそれは過激な態度であるべきですし、そうでないとまた意味もないのです。

「写実絵画」がただ写真のように描くだけではなく、例えばその描かれた人物の内面や心情、人間性まで見事に表していたとして、加えてそれぞれの作家の個性が強く表れていたとしても、それは単なる照明や光、ポーズの演出の中に、描く者、観る者双方の制度に促された視線が捉えた虚無にも似た幻影では無いかと思ってしまうのです。権力や制度と結びつき、それ自身に沿って現実を形成していく言説をディスクールと呼ぶ、というのであれば。

まあ「絵画」の方向性もそれぞれ、価値観もそれぞれなので何が良くて何が悪いという事ではないのかもしれないですが、マーケットや現状に対して、制作者側からも問題提起を、ということでこれを記します。

*参考文献「美術史とその言説」宮川淳 水声社

 

「私」の記憶はどこにあるのか

普段の日々が取り留めなく過ぎ去って行く中、人は誰でもたわいない事柄は覚えておれずいつの間にか忘れてしまいます。もしくはそれらの事柄の前後や詳細がどんどん曖昧になっていき、元の姿とかけ離れた形で記憶される事になります。家族や親類、親しい友人と集まって昔話となった場面で、一つの事柄に対しそれぞれの記憶や認識が食い違うといった事は珍しくはないでしょう。

個人にまつわる小さな出来事、記憶でもそんな曖昧な事態が起こるのですから、歴史のターニングポイントとなった大きな事件や事柄は、理路整然とした語り口、単一の視座での記述はそもそも不可能であるように思えます。

例えば、第二次世界大戦の始まった理由。その中の盧溝橋事件や真珠湾、硫黄島の戦いなどの個別の事柄。それらはこの百年での最も大きな出来事とその一部ですが、それらを経験した当事者達でさえ、視点が異なれば見える像が異なり、全容を把握する事は困難です。しかしそうであるにも関わらず、歴史化される際はあたかもそれらに明確な原因と結果があり、まるで一つの大きなストーリーがあったかのように記述されます。実際の全容は一人の認識できる範囲をはるかに超えて巨大で、当事者それぞれの異なった認識を無理矢理つなぎ合わせ、仮初めに全体像の輪郭を組み上げるしかないにも関わらずです。

ある出来事が歴史化される時、そこには必ず改変が加えられます。時には政治的権力を伴った意思によって。あるいは単に時間の経過と共に変化する価値観によって。歴史とは勝者の歴史である、と言ったのはヴォルター•ベンヤミンだったでしょうか。違うかも。

しかし、そもそもある出来事の複雑で大きすぎる全容を正確に記述することなどはじめから不可能ではないでしょうか。だとすれば、歴史は恣意によって「つくられる」ほかないものかもしれません。

4月22日より群馬県立近代美術館で始まった展覧会「群馬の美術2017」において、白川昌生氏の《群馬県朝鮮人強制連行追悼碑》という作品が撤去されたそうです。

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今回の白川氏の作品は、歴史や社会の記憶をアーカイブする為に設置されたモニュメントがテーマのようです。

本来、公の記録を刻む恒久的なはずの記念碑は、時とともに物理的に外観が変化します。それと相対するように、そこに刻まれた歴史や記憶、メッセージは思いがけない変容を遂げることがあります。布で覆われ、そこに何が刻まれていたか解らない記念碑(を象った立体物)は、まさに歴史や記憶が何らかの意思により「つくられる」ものであり、変容させるものだということを痛烈に我々に伝えます。今回の美術館の撤去命令により、白川氏の作品はその主張を美術館内でまさに体現した形となりました。

作品撤去により表現の自由を侵犯した事についての批判は各方面から起こっています。それに対しての県の言い分は、作品の元になった県立公園群馬の森(高崎市綿貫町)にある朝鮮人労働者の「追悼碑」を巡って係争中だから、ということのようです。

「係争中だから展示しない」ということは裁判の行方に何かしら今回の作品が影響するから、ということなのでしょうか。例えば仮に、今回の作品がどちらかに偏った思想を示していたとします。係争中の事柄に対して、偏った思想の作品を県立美術館が展示していたとしたら、その「偏った思想」を県が支持した、という事になるのでしょうか。

一方で法律に則れば、美術館での作品、展示には表現の自由が保証されており、基本的に主催者も美術館も作品の政治的主張に口を挟む事は出来ません。逆に言えば、そこでどのような主張が作品によって展開されたとしても、それは主催者や美術館の主張、立場とは独立したものであるという事が前提になります。その前提がある限り、「係争中であるから作品を撤去する」という主張は矛盾•破綻していると言わざるを得ません。

しかし現状「係争中だから展示しない」という事態は「美術館で展示されている作品は、おおむね主催者や美術館の政治的主張と近いものである」という前提がないと成り立ちません。現にWeb版の朝日新聞では撤去の理由を『同館は「県は碑の存廃をめぐる裁判の当事者。存否の両論を展示内容で提示できない以上、適さないと判断した」としている。』と報じています。論理的には破綻した事態に思えます。

そもそも、今回の作品は「追悼碑」の是非を問うものですらなく、現地にある追悼碑がモチーフとして採用されただけです。

どう考えても何らかの恣意的な撤去の理由を「係争中」ということをこじつけ覆い隠しているように思えてしまいます。もっとも、覆い隠されているものがあったとして、それが権力者による主義や思想の抹殺といった剣呑な事態とは限りません。ある県の職員が、議会の上層部からつつかれ出世に影響しそうと思って「時期が悪いので今回は見送りに…」、とか、議会の保守派重鎮が作品タイトルだけを見て作品の中身は見ず「けしからん!」といったとか、実は深みも奥行きもない事態が覆い隠されているかもしれません。

一口に「表現の自由の侵犯」といっても、その理由や主体は様々です。日本の新聞、報道機関はその辺りを掘り下げないなぁといつも思います。今回のケースも前述の矛盾•破綻を指摘し、本当の撤去の理由は何だったのかを言及している新聞、報道記事は(私が調べた限り)見当たりませんでした。そういえば、日本にジャーナリズムなんてものは無く、ジャーナリストも存在しない、という皮肉を耳にした事が過去何度かあります。報道の自由と表現の自由は相関関係があるのです。

繰り返しになりますが、今回の騒動はまさしく白川氏の作品のテーマが現実に立ち現れ生成されていく過程に立ち会ったと思えるものでした。私はこの作品を鑑賞する機会も、作品について議論する機会も奪われたのです。

撤去騒動の本当の理由は何だったのか、誰の意思で作品が撤去される事になったのか。そもそも、作品はどんな内容のものだったのか。その全てが解像度の低いモザイクのような形でしか報道されない事に表現の自由が侵犯された事と同等の気持ち悪さを感じます。表現の自由が侵犯された、と大仰に報じている新聞やメディアでさえ、解像度の低い報道の仕方から実はその事に大した関心を持っていない事が伺い知れます。だとすれば、目の粗い報道を通じてしか遠隔地の出来事を知り得ない「私」の記憶はどこにあるのでしょうか。

 

展示のお知らせ

4月9〜22日、大阪のチガーヌで展示があります。

今までとは多少雰囲気の異なる小さめの作品を展示します。皆様お近くに来られた時はぜひお立ちより下さい。開廊時間、休日などはお店のHPをご覧下さい。

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タイトル

2015

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