早いもので私が運営に参加するギャラリー、チガーヌは3月に1周年を迎えます。微妙に先です。ずいぶん中途半端な時期に「1周年です!」って言ったな。しかし本当に早いですね。お店も1年良くもったものです。
チガーヌの次回1月28日からはじまる展示は奥田文子さん、GALLERY MoMoの作家さんです。東京は両国にあるMoMoの作家さんの絵が大阪・船場で見れます。しかも2月4日はワークショップ「葉っぱのフロッタージュをしよう!」が開催されます。12時より随時受付、ぜひお越し下さい。フロッタージュってなに?という人のために説明を付け加えておくと、ちびっこの頃「こすりだし」と呼んでた、凹凸した所に紙を置いて上から色鉛筆やクーピーでこすり模様を写しとるあのやり方です。今回展示作品の中にもフロッタージュの作品があるそうですよ。

お待ちしております!
12/19まで、国立新美術館でシェル美術賞展が開催されていました。レセプションが有ったので国立新美術館に行ってきたのですが、実際の入賞•入選作品を見た感想というか、2016年現在の絵画とその批評に対しての私の問題意識を備忘録的に残しておきたいと思います。

まず、会場の53作品全体を見た私の感想は「割と作者の個人的な経験とか好みに依存して作られていて、共感しにくい部分、自分にはわからない部分が多いな」というものでした。今までもこういったコンペの入選作品展ではそう思う事はありました。しかし、実際に作者の方とお会いし、話をし、何を思い、何を考えてその絵を描いたのかを聞く事である程度は理解のきっかけを得る事は出来たのです。しかし、少し前から作品を見ても、作者の話を聞いても共感しにくい、良くわからないという作品が増えました。
私がある程度年齢を重ねたから若い20代の人の描くもの、考えが理解出来なくなってきた、という訳では無いようです。というのも、同年代の人や年上の人の作品でも「良くわからない」と感じる事が有ったからです。
上述しましたが原因として考えられる事は、絵画を描く際のテーマやコンセプトといったものがより作家の個人的なものに引き寄せて作られている事が挙げられるかもしれません。近年の傾向として作者の個人的なものから発想を出発させ、その中で作品を完結することを「良し」とする傾向が作家側にも評価をする側にも有ると思います。個人的な部分に依っている分、そこに描かれたものは良いとか悪いとかの評価基準では語れません。その人の個人的な好みにまで他人が口出しする事ではないからです。しかし個人の好みやその人の主観的な感情などは他人に理解のきっかけを提供する事をしません。そういった理解のきっかけが無い作品が多いように感じたのです。だからこそその「好み」が似たような人は直感的に「理解できる!」となりますし、「好み」が合わない人は結局理解出来ないのです。それが絵画の新しい形なのか、それとも絵画にとって良くない事なのか、現時点では私には判断が出来ません。
例えば今回の審査員賞である「白昼夢のままごと」という絵の中には、子供の腕が絵の中に出てきます。

これは作者の木村鮎子さんのお子さんの手だそうですが、審査員の島敦彦さんは「私は子供が好きだから子供の手が入っているだけでうるっときまして」と表彰式でおっしゃっていました。私は評価する側の人間が個人の「好み」を口にした事に少し驚きました。当然、子供嫌いの方も評論家や美術館関係者の中にはいらっしゃるでしょう。極端な話、その「好み」の合わない二人が「白昼夢のままごと」を巡って議論する際、平行線であろう「好み」を議論に持ち込み戦わせる事もあるのでしょうか。個人の「好み」は果たして評価の基準となり得るのでしょうか。
とは言え今回の場合は「白昼夢のままごと」は絵画的に優れた水準をクリアしており、その上でちらっと個人の「好み」の話が出た、ということなのでしょう。ただ、どのあたりまで評価に「好み」を持ち込む事が許容されるべきなのか、という問題に対しては慎重な姿勢が必要だろうと思います。
一枚の絵画に向き合い善し悪しを判断するとき、絵を描く制作側の人間は割と「好み」で作品を評価します。我々制作者側は往々にして「絵画って結局好みじゃない?」という事を平気で言うのです。私はそれは違うと思っています。
絵画の評価基準が「好み」であるとすれば、我々制作者側の人間はまず第一に市場の、顧客の「好み」に沿った作品を作らなければなりません。きれいな風景やかわいい動物とか。しかし我々制作者側の多くはそうなると途端に「いや、自分の好きなように好きなものを描く!市場原理やニーズに合わせる事はしない!」と矛盾しまくった事を真顔で言います。それは暗に専門の技術と知識で絵を描く自分の評価基準=好みは正しく、それらを持たない市場や他の人の評価基準は正しくないと言っている事と同義で、「好み」を評価基準に採用している場合は一種の傲慢となるでしょう。
特に困るのは、「好み」を元に個人的な評価基準を採用してしまうと誰もおぞましく気持ちの悪いものは好まないので結局そこら中が明るく楽しい絵画で溢れかえってしまうようになります。結局ニーズに依ってしまうと同じような絵ばかりになり、社会の多様性を担保するはずの芸術、アートが一元的になるという本末転倒な事になりかねないのです。
本来そういった事態に対して、論理を用いてある程度みんなで共有できるような評価基準を提供しストッパーとしての役割を果たすのが評価する側のいわゆる「批評」と呼ばれるものです。絵画を含めた芸術全般の役割は、不愉快で見たくはないけれど目を反らしてはいけないもの、気持ち悪く不可解だけれど受け取り、みんなで考えていかないといけない問題などにスポットを当てる事でもあります。そういった作品が社会的意義を認められ、世に出ようとするとき「なんでこんな気持ちの悪いもん見せられなあかんねん!」という意見に対し、「なぜそれが必要か」を論理的に「好み」を超えて「批評」が説明しなければなりません。
また「好み」というと批評的視点を欠き説明不要なワードである雰囲気があります。「なんかわからんけど好き」とか「直感で好き」とかふわっとした言葉と組み合わせても使えます。人々が芸術、アートのメインの評価基準に「好み」ばかりを採用するようになると、どうしても声の大きい人や、社会的、政治的地位の高い人の「好み」がそうでない人達のそれより優位になります。そうなると(また極端な話で恐縮ですが)「君の絵は『あの方々』の好みではないようなんよね。好みに合うよう描き直して欲しい。言わんとするところは解るよね?」と戦時中の日本で言われたであろうセリフや、かつて政府が芸術、アートの「公式」を設けていた数々の社会主義国家のような事に成りかねないのです。
そうなると我々制作側の人間は投獄されても拷問されても「それは違う!」と言い続けなければならないのですが(仮に誰かの圧力に屈して主張を曲げてしまうと、途端に今までの作品も、これからの作品も説得力を失うからです。論理以外の圧力によって曲げられる主張は作品の核としては弱く、その主張に依って成り立っている作品には価値はありません。)それも中々難しい事です。
民主主義国家でなおかつ先進国である日本でそんなことは無いだろうとは思うのですが、ここ最近は「好み」を軸に芸術、アートが語られる事が増え、相対的に元々脆弱だった「批評」がさらに力を失っていると思います。やはり「好み」で絵画を組み立てる事には問題があるようですね。ここで述べた事が「考え過ぎ」だったらいいなと思った今回のシェル美術賞展、東京滞在でした。
以前にも書きましたが、シェル美術賞で奨励賞を頂きました。東京では12/7から国立新美術館でシェル美術賞展がはじまってます。
シェル美術賞は今年でちょうど60周年、歴史のある公募展です。2000年以降もこのコンペをきっかけに国内外から注目され有名になったアーティストが何人かいらっしゃいます。一例をあげると大谷有花さんや鈴木紗也香さん、上田暁子さん、その中で個人的に面白いと思う作家さんは小野さおりさんなどでしょうか。しかし何といっても最も有名な世界的アーティストと言えば2001年に大賞をとった曽谷朝絵さんじゃないでしょうか。バスタブの絵が有名です。今回はこのコンペの審査員もされています。

2001年当時の時代背景を説明しますと、村上隆さんや会田誠さんなどがサブカルチャーの言語を以って文化的にもアメリカの植民地から抜け出せない、またそのことにすら無自覚で自身の出自や歪みに対して言及できない日本の文化を嘲笑するようなコンセプチャルな作品が注目を集めていました。まだ学生だった私はその乾いたシニカルなスタンスに強く惹かれていました。それは暗に現代の日本の「絵画」を否定しているように思え、なぜかそれに憧れたのです。そんな私にまったく異なる「絵画」の強さと可能性を見せつけたのが曽谷さんの作品でした。「こんな絵を描く人がおるんか。。。」と思ったのを鮮烈に覚えています。その曽谷さんがレセプションにやってくる!ぜひお会いして話がしたい!と半ば興奮気味に東京に向かいました。
東京は何度訪れても都市の密度やお金の匂い、ソフトの相違に驚かされます。何か都市のOSが違うというか。。。そういえば東京都だけでG20であるサウジアラビアやインドネシアなんかと同じくらいの都内総生産が有ると聞いた事があります。今回は乃木坂駅から国立新美術館に入ろうとしたのですが、まさか駅直結だったとは。「美術館と駅がつながっとるってどういうことなん!めっちゃ便利!雨濡れへん!」と当日は快晴でしたが思わず呟きながら国立新美術館に入りました。

国立新美術館は何度来てもその巨大で古めかしい出立が故・黒川紀章とモダニズムの墓標のように見えて仕方がありません。もっと他の案あったやろ。まさか殉死した乃木大将が元になっている地名を冠したアイドルまでいるポストモダンさえ通過したこの時代、その乃木坂にこんな思いっきりモダニズムな建築があるなんてどこか分裂症な気もします。修飾語だって複雑に入り組みます。
さて、レセプションは今回の大賞をとった小川直樹さんの完璧な受賞の挨拶とスピーチではじまりました。めちゃくちゃ上手かったのでその後にしゃべる私は正直ものすごく焦りました。作品の講評では曽谷さんも話をされ、一人で完結する事が出来る絵画は、作者と作品の間で交わされる戸惑いや解決、試行錯誤の後が透けて見える事がメディアとしての強みである、というような事をおっしゃっていました。確かに曽谷さんの作品にも、曽谷さんが審査員賞に選ばれた鈴木浩之さんの「無題」という作品にもそういった面は強く見て取れます。鈴木さんの作品は写真より圧倒的に実物の方が良いですよ。写真ではわかりませんが実物は絵具の下の層が透けて見えていたり、線に息づかいが感じ取れたりします。
レセプションの後は別フロアでやっている「DOMANI•明日展」の内覧会に入れていただくことができ、そこで出展されている曽谷さんと少しお話しさせていただくことが出来ました。一線で活躍されているアーティストの言葉は鋭く重みがあり、自分はもっと真剣に制作に向き合わないといけないと思わされました。プレスの対応でお忙しい中お話下さった事がうれしかったです。
しかし、私は我慢が効かず不躾にも言ってしまうのです。「サインください。。。」本当に失礼しました!けどうれしかったです!

意外にも短いですが、シェル美術賞展は国立新美術館で19日までです!まだの方はぜひ大急ぎで観に行ってください!
私が運営に関わる船場のギャラリー、チガーヌの11月23日~12月5日の展示は版画家の松谷愽子さんです。
チガーヌは展示が変わる度にお店の雰囲気も大きく変わります。今回はモノクロの作品なのでお店の雰囲気も落ち着いたものとなりました。



そして売り上げは!

赤いマルのシールは売約済であることを示しています。ギャラリーに出入りされる方はそんなことご存知だとは思うのですが、どうしても言いたくて書きました。赤マルは売約済みです。そして12/5現在、まだ数点が交渉中です。大きいの売れて!と願わずにはおれません。

「ギャラリーの売上としてはまだまだだよね」当然そうおっしゃる方もいらっしゃるでしょう。しかし、チガーヌは完全なホワイトキューブではありません。お昼はランチもやっていますし、夜はお酒も出します。絵を見に来たお客さんが、ランチorお茶をしていくことでも売上は上がります。また夕方ごろに絵を見にやって来たお客さんがライブの準備をしている様子をみて「ジャズの生演奏とかあるんなら見ていこうかな。。。」となります。そうなるとチャージ+お酒が売れます。
また逆のパターンでランチの常連さんが展示されてる絵に興味を持ってくれたり、ジャズの生演奏に興味を持ってくれたりするのです。ジャズの出演者の方が絵を買ってくれることもあります。そうして3つの全く別な商品が相互補完的に売上を伸ばしていく事が出来るのです。なんと美しい収益構造!ここの経営者は中々商売上手やな!と自画自賛です。
また展示してる作家さんがお茶してたり、お酒を飲んでたりすることが多いので展示作品に興味を持った方は気軽に作家さんに色々聞くことができ、それも好評ですね。
飲み食いする空間の中に絵があるということは、自分の部屋に飾って生活の中で眺めるイメージが湧きやすいのかもしれません。そしてそれは、動産としての絵画の価値からは切り離された、原初的、根源的な絵画の価値に触れる瞬間でもあると思うのです。
早いもので2016年もあとわずか、まじで月日は百代の過客で光陰は矢のように飛んでいきます。というか21世紀になってもう16年が過ぎるのですね。前世紀の終わり頃と比較してみると、ずいぶん世の中が様変わりしたように感じます。最近の10代、20代の人は何と言うか、常識があるというか。しっかりした人が多いですね。ある特定の年代の人がお持ちのずっこけ感が無いというか。立ち振る舞いがきちんとしているというか。
それは絵画のつくられ方にも表れているような気がして、若い人の作品に暗い内面や苦悩を吐露したような旧弊な絵画作品は少ないように感じます。それはマンガや音楽など、他のジャンルでも同じなのかもしれません。オノナツメとか市川春子のマンガとかかっこいいもんな。
音楽では(私は大芸出身ですが同じように)大芸出身の音楽バンドでいうと、赤犬→50回転ズ→ENTHRALLSと時を経るにつれ蒸留されたというか、口当たりが良くなったよな的なものを感じます。
ちなみに私は50回転ズと同期です。
矢印の向きは右に行くほど新しいのですが、初めてENTHRALLSの曲を聴いたときは大芸ってウソやろ‼って思いました。それくらいかっこよすぎてちゃんとしすぎてて何かしらの断絶を感じました。ENTHRALLSって大芸出身であってますよね?初めて聞いた曲は「きょうはうまく眠れない」だったのですが、タイトルを聞いた瞬間「そんな語彙はおれらにはないわ!少なくともそんな語彙を持ち合わせない集団に自分は所属してたと思っとった!!」と大阪弁丸出しで驚愕したものです。
しかし、似たような背景を持った方々が「きょうはうまく眠れない」と言った以上、そこに時とともに生じた一定の文化的変遷を認めないわけにはいきません。いや、実際は似たような背景かどうか分かりませんが。。。学生の時も今も帰属意識はほぼ無かったくせに、変なところが引っ掛かります。
だって50回転ズなんてポギーやドリーといったペルソナを立ち上げないと目の前にあるものと向き合うことが出来なかったのに…
あれから10年…時代は変わったのだと思っていました。
。。。が。やばいTシャツ屋さん。大芸です。
この人たちは安心感がありますね!バンドの名前からして!
ライブのMCも
ボーカル「こうやって、みんなが観に来てくれることも、僕らがこうやってライブできることも、全部当たり前のことじゃないと思ってて。それに感謝してライブしなあかんなって思ってそういうことを考えながら新しい曲を作ってきました。聞いてください、ヤバイTシャツ屋さんで、『絆』!!」
ドラム「…..ってそんな曲無いやん!!そんな曲あるかい!」
ボーカル「そんな曲なかったな!最後の曲です『ネコ飼いたい』!」
その語彙は有ります。

「夕立は馬の背を分ける」という作品でシェル美術賞2016、能勢陽子審査員奨励賞を頂きました。
展示は東京六本木の国立新美術館で12/7(水)〜12/19(月)です。開館時間等詳しくはこちらをご覧下さい。
12月10日(土)14:00〜15:30にアーティストトークも予定されています。お近くに来られる際はぜひお立ちより下さい。
9月もあっという間に終わりが近づいてきております。私が運営に関わるギャルリーチガーヌ、9月後半の展示はしまだそうさんの展示です。海外のアートフェアや国内のいろんなギャラリーで展示をされている方なので、ご存知の方も多いのではないでしょうか。
ギャラリーで作品を見てみたいけど、絵をどう見れば良いかわからない、そんな方もいらっしゃるでしょう。ギャルリーチガーヌなら大丈夫!カフェ併設ですのでぜひ椅子に腰かけ、疑問に思ったことは店長に聞いてみて下さい。そういう意味では通常のホワイトキューブよりも作品との距離が近いギャラリーです。
展示はこんな感じです。

また、お店のHPには作品鑑賞の手がかりにしてもらえるよう紹介文を載せております。テキストは私が書いてますのでこちらもぜひご一読を!以下今回の展示の紹介文です。

絵の中に並べられた奇妙な生き物、文字、模様、記号、形態。
それらからは特に意味を拾う事は出来ず、またそれぞれの者•物同士の繋がりも見出せません。
意味と繋がりが不明瞭な場所に踏み込んだ我々は、自分の足下が少し緩んだ事を感じます。
それは小さな子供の頃、知らない道にはいり込んだ時の少し不安の混じった感覚に似ています。
絵に漂う無邪気さの混じった懐かしい雰囲気も手伝って、我々は幼い不安を胸に抱きます。
その「幼い不安」を抱いた瞬間、絵の中に並べられた者•物同士が繋がり「物語」を紡ぎ出します。
しかし「物語」は意味や筋書きは伏せられたまま、存在のみがそこに示されます。
しまだそうの絵に踏み込んだ時、我々はその都度意味や筋書きは伏せられたままの奇妙な物語の生成に立ち会います。呼び掛けても応えてくれないその「物語」はしかし、なまぬるい手触りだけを確かなものとし我々に送り返してくるのです。

ラヴィアンうしって何?お店で店長に聞いてみよう!
しまだそう個展「ラヴィアンうし」10月1日までです。
一つの制度には寿命がある。今その寿命を迎えつつある一番大きな、かつ重要な制度は「資本主義」かもしれない。資本主義からの脱却は90年代の末期から、恐らくはタイの血塗れのバーツやスカンジナビアの金融危機によって露わとなったその不安定性、暴力性の為に各方面で語られる事となった。1999年に出版された熊倉敬聡氏の「脱芸術/脱資本主義論-来るべき幸福学のために」や2000年出版の河邑厚徳+グループ現代の「エンデの遺言 根源からお金を問うこと」では資本主義の終焉が(20年近く前の時点では仕方のないことではあるが)今から見返すと幾分理想的に語られている。近年では鈴木健氏が「なめらかな社会とその敵」で非常に現実的で洗練された理論を展開している。
様々に語られる資本主義の終焉ではあるが、それでも未だ脱市場的、脱貨幣的な経済というオルタナティブは現れない。
確かに、一定の期間以上社会を支え動かしてきた制度がその日を境に別の制度に変化することは有り得ない。もしそんな事があれば、我々の慣習や生活、思想がそれについていかないだろう。ならば変化を促す為の小さなスケール、現時点での実践可能な範囲での問題設定、つまり資本主義においての基本単位である「株式会社」は現状とは別のルールで運営可能か、という点に絞って考えてみたい。
2016年現在、通常の「株式会社」では取り零してしまうもの、取り扱えないけれど確かに価値のあるものは増えてきた。現代美術もその一つである。
現代美術はその性質上、不快さやディスコミュニケーティブなものをテーマとして扱う事がある。それらは市場のニーズから導きだされるものではなく、むしろニーズからは決して出てこないものである。マイノリティな何かを、今この場で声を上げなければ霧散してしまう何かを、確かに存在させる為の容物としての役割もその一側面なのである。
対して、株式会社は市場のマジョリティのニーズを商品とする。そこには一般的に政治的主張は見られず、経済合理性に沿って商品は形成される。株式会社は3ヶ月ごとの採算を常に気にし、リスクの有る物は扱わない。
一昔前に比べれば確かに市場のニーズが多様化したと言われ、株式会社はそれに応える為に「多品種少ロット」の商品展開をするようになった。株式会社は「お客様のご希望、ご要望全てにお応えします。」と恥ずかしげも無くのたまう。しかし、現在はニーズが多様化しているだけではない。貨幣価値を巡る認識が多元的になってきているのだ。例えば少し前では考えられなかったクラウドファンディングは、多くの人や社会に必要とされる事業やプロジェクトであれば実現される。日本で有名なのはREADFORだろうか。一人の出資額が小さいため、より多く人の「共感」や「同意」を得る事で資金を集める仕組みである。単純にリターンが大きいから、というのが出資の理由とはならない部分に貨幣を巡る価値の変質が見られる。
株式会社がニーズに応えることが出来るのは、人間の欲求は経済的価値で満たされるという前提を是とする場合に限定される。しかし人が生活するという事は泣いたり、笑ったり、怒ったりの繰り返しでもある。ただ消費し、貨幣により加速する空間が生活の場としてふさわしくないと考える人は多いだろう。そして音楽やアートといった経済的価値とはある程度独立したものとともに毎日を過ごしたいと思う人も増えてきている。
そもそも、企業や株式会社に代表される組織は、「経済合理性」をOSとし、部分を統合する全体をシステムとして捉えることで成立する。その中で「大きな問題」は「小さな問題」に分解され、そこに最小単位の答えが生まれ、それを統合することにより全体の答えが得られるとされた。その中では利益を最大化するために徹底した合理化が図られる。時にその中で働く人の意思や感情が切り捨てられパーツとしてシステムに組み込まれる場面もある。もちろんそういった場面ばかりでは無いにしても、人間的であるとは言いにくい場面も少なからずある。近代という時代を「より速く、より遠くへ、より合理的に」到達する事を目的とする時代だとすれば、それを支える為のシステムが資本主義で有り、「株式会社」がそのシステムを構築するパーツであった。
しかし、「より速く、より遠くへ、より合理的に」行く事は本来目的には成り得ない。金を稼ぐ事が目的には成り得ないのと同様に。近代という時代は本来の意味での「目的」が成立しない時代だったのかもしれない。そして近代は終わった。
経済的利益を出すことが第一の目的とはならない。もちろん会社存続のためには経済的利益は必須ではあるが、それとは別の「目的」が優先されるような、「利益を出す為の」会社という言い方が論理矛盾となるように(それが部分的であったとしても)経済や株式会社運営のルールを書き換えないといけない。
通常の株式会社が取りこぼしてしまう価値を「商品」として取り扱える会社組織ー必然的に経済合理性を第一とせず、それ以外に行動原理を求める事になる、そんな組織を会社と呼ぶ事は出来るだろうか。そこで働く人間の感情までも許容するような、無駄を抱えて継続できる会社組織。「会社」の意味をそこまで拡張できれば経済のルールには変化が見えはじめるだろう。私はそれを、私が経営に参加する大阪•船場の小さなお店で実践したいのである。
いまさらですがワンダーシードで絵が売れました。
遅くなりましたが買ってくれた方、有難うございます。次回展示にもぜひお越しください。こうやってどなたかが作品を認めて、購入下さるということは作る方としましても励みになります。
やはり、東京は売れるのですね。SOLD OUTの文字が輝かしい。。。

いや、大阪でも私が運営にかかわるギャラリー、チガーヌでは5月、6月の展示でそれぞれ何枚か売れました。すごいな!絵を売るのが難しいと言われる大阪でギャラリーとして機能しつつありますね。こちらもご購入下さった方、有難うございます。
大阪は船場に新しくギャラリーがオープンします。そして私はその経営陣に名を連ねているのです。すごいな!
ギャラリーの名はチガーヌと言います。そのギャラリーを取り仕切るのは泉大くん。2008年のシェル美術賞で蔵屋美香さんの審査員賞を受賞したアーティストです。
ギャラリーとは言っていますが完全なホワイトキューブでは有りません。基本的に12:00~18:00はカフェ&ギャラリー、18:00~はジャズ&バーです。



飲食メニューはこんな感じです

今までもジャズバーとして営業していたので、完全に新規オープンという訳では有りません。ジャズバーだと18:00~の営業なので、昼の間全くお客さんが来ないという事で3月からカフェギャラリーとして運営がスタートです。
夜間のジャズバーは常連のお客さんも多く、ライブやセッションが行われています。夜の生演奏も良いですよ。夜のみ入場料+1ドリンクです。入場料はイベントに依って1000〜1500円くらいです。
ギャラリーの3月展示は「前田大介展」!船場ですのでお近くに来られた際はぜひお越し下さい!*火曜定休
https://www.facebook.com/GalerieTzigane/

