絵を売りたい!ワンダーシード2016 販売編

2月12日金曜日の夜10:00~、ワンダーシード2016はTAGBOATによるオンライン販売が始まっています。販売点数全84点、全ての作品が53×53cm以内、販売価格は3,000円〜40,000円までのサイズも価格もお手頃な展覧会です。実物を観てみたい、という方はトーキョーワンダーサイト渋谷で展示されていますのでぜひそちらに足をお運び下さい。

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さて、ワンダーシード2016ですがもう10年以上続いている割と歴史ある公募展です。タグボートも登場当時はオンラインで絵が売れるのか!?などと言われていましたが、というか主に我々絵を描く人達がそう言っていたのですが、設立からもうそろそろ10年が経つのではないでしょうか。オンラインで売れるのですね。

日本では絵が売れないとは良く言われますが、ワンダーシードはまだ売れてる印象が有ります。サイズも価格も手頃だからでしょう。先日の内覧会でも結構なペースで売約となっていってました。

ならば販売を担当しているタグボートにとって、毎年有るワンダーシードという企画は儲かるのか?そのあたりどうなのでしょう。

作品が売れた場合、売上の配分は作家6:タグボート4です。絵の平均価格23,000円(税抜)を前提で考えるとTAGBOATの販売コストと利益はざくっと下記のような感じでしょうか?

まず販売コストがWEBページの作成費用です。

スクリーンショット 2016-02-28 18.18.21のページ作成費が1万円、スクリーンショット 2016-02-28 18.19.17×84作品分のページ作成費(@1000円で計算)で8.4万円、あとは各作品の写真撮影と画像調整で10万円で計算します。小計19.4万円です。

次に絵が売れる毎の事務経費、発送経費を@1000円とします。

84点全て売約で売上195万円、粗利は78万円です。

全ての作品が売れれば(諸々のコストをかなり安く見積もってますが)50万円弱くらいがタグボートに残る計算でしょうか。もちろん、全て売れれば、という前提なので売れるのが半分の42点であれば大体15万円くらいが営業利益になる計算です。2月27日現在の売行は41点売約、ちょうど半分くらいです。

これを利益が出ていると見るか、出ていないと見るかは企業規模に依るでしょう。大企業なら「この数字じゃ利益とカウントしないよ。てか全然ケタが足りないよね?」でしょうし、社員数50人くらいの中小企業で「来年は売上増のために企画を練らないと…」となり、4〜5人の企業なら「何としてでも今の利益をキープしたい!」という風に変化します。

この事から察するに、タグボートももう少し売上と利益が欲しいなぁ、と思っているのではないかと思います。解決方法は二つしか有りません。

「販売単価を上げる」か「ニーズのある絵を販売する」かのどちらかです。単価を上げるには短期的には絵のサイズを大きくすると手っ取り早いです。15×20cmとか小さなサイズではなく規定の53×53cmに極力近い絵を作家に描いてもらう、という事です。大きくなると売れにくいけど。中、長期的にはセカンダリーマーケットを充実させ作品の経済的価値を担保させる方法が挙げられます。もしくは円安などの外的要因によってインフレ、または景気が良くなるのを待つか。黒田さんが頼りのまさに他力本願です。

「ニーズのある絵」というのは思わず部屋に飾りたくなるような綺麗でおしゃれな絵、という事です。利益は出るでしょうが、トコトコ歩いて来た本末がその辺で転倒するのを見る事になりかねません。

そもそもタグボート自体が「芸術、アート」が「市場経済」のほうに歩み寄った販売形態である以上、上記のようなジレンマを抱えざるを得ないのです。ある程度エスタブリッシュメントな「商品」を「文化って素敵よね」と言ってくださるより多くの人に届けようとすると必ずこのジレンマが顔を出します。「芸術、アート」の純度を高めれば絵が売れず、「利益を最大化」させようとすればニーズに迎合して表現が画一化してしまう。上からですいませんがタグボートはこの辺のバランスはまだ上手いような気もします。

このジレンマを避ける方法はただ一つです。販売制度の設計時点で「市場経済」のシステムを「芸術、アート」用に部分的にカスタマイズする事、つまり、「市場経済」のほうにもう少し「芸術、アート」側に歩み寄ってもらうのです。

「偉そうに講釈垂れんなら公募展なんか出すなや!」とか「何ゆっとんかわからん!」「そんなん言うなら自分の絵をタグボートで販売すんなや!」などと言う声が聞こえてきそうですね。

そこで。そこでです。アーティストが運営するギャラリー、大阪は船場にオープンです!まだホームページなど作りかけですが… HP:galerie-tzigane.com

オープンしょっぱなの展示はもちろん『前田大介展』です。

みなさま3月はぜひぜひ、東京ではワンダーシード2016、大阪ではギャラリーチガーヌにお越し下さい。

絵を売りたい!ワンダーシード2016 制作編

ワンダーシード2016に入選しました。来週2/13~3/20までトーキョーワンダーサイト渋谷にて展示販売されます。お近くの方はぜひご覧ください。

ワンダーシードは作品サイズが最大53×53cmまでと比較的小さく、またその作品を販売するという点で他の公募展とは異なります。入選したのは「風花」という作品です。

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私は小さなサイズの作品が苦手です。今までワンダーシードに何度か応募しましたが、上手く行きませんでした。私の場合、普段の作品を作っている方法論では小さなサイズには上手く馴染まないのです。

そこで、普段の作品とは完全にコンセプトやアプローチを切り離し、小さいサイズ用に全く別のコンセプトを立ち上げました。この作品は油彩のツヤの有る黒の背景につや消しの半透明の絵具を重ねることにより幻想的な雰囲気を作りだし、鑑賞者に対して割と感覚的な見方を許容する作品です。というかあまり小難しいコンセプトは作らず、開き直って完全にイメージ先行です。

写真では分かりにくいですが、作品のアップはこんな感じです。

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「風花」というタイトルの通り、積もった雪が舞っている(絵の中では舞ってないけど)イメージです。

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実際は背景は写真よりももっとツヤがあり、光っています。

「半透明の絵具」は今回の作品用に作りました。

蜜蝋(テレピンで溶かしておく)+アルミナホワイト(少量のテレピンで溶いておく、リンク先の下から3番目)+リンシード+チタニウムホワイト(市販のチューブの油絵具)を混ぜ合わして作ります。割合は4:4.8:0.8:0.4くらいでしょうか。絵具を盛り上げた部分はこんな感じです。

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蜜蝋は絵具に可塑性を与え、アルミナホワイトは体質顔料ですので乾性油で練ると半透明になります。アルミナホワイトだけだと透け過ぎなので少量のチタニウムホワイトで透明度を調整しました。

 

自分の中にあったイメージと質感を感覚で捉え直してキャンバスに落とし込むのに苦労した作品で習作2枚を費やしました。

これで販売価格¥30,000-は超バーゲンセール!!と自分では思うのですが、どんなもんでしょう?

興味のある方はぜひ展示会場のトーキョーワンダーサイト渋谷で、またはオンライン販売のTAGBOATをご覧ください。

 

展示のお知らせ LIFE LABO BLD その2

来月、2/16~21の期間、LIFE LABO BLDというスペースで展示が始まります。

前にも書きましたが、1Fがカレー屋さん、2Fがバー+展示スペースというお洒落スペースです。展示を見に来ていただいたついでにカレーを食べたり、お酒を飲んだりできるので、皆さまぜひお友達と一緒に見に来てください!

今回はDMもスペースに合わせてお洒落仕様なデザインです。

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そしてアートは世界が文化的である事に加担する

今ではアートという言葉も耳に馴染み、日常の中で使われていようと違和感を感じなくなりました。しかし、今から10年程前は『アートって語は何を指してるん?』とか『芸術とアートはどう違うん?』とかいう事も頻繁に言われていました。

「アート:“芸術”が終わった後の“アート”」(松井みどり著 朝日出版社)では大きな物語の終焉後、つまりイズムで一括りに出来ない程傾向が多様化した小さな物語の氾濫を「アート」と呼ぶ、的な事が書かれてあったように記憶しています。

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最近では「アートと美学」(米澤有恒著 萌書房)という本の中で「アートって語はなんなん?」と美学が専門の米澤有恒氏が書かれていて、実制作がメインの私はアートという言葉の出自が美学では無い事を初めて知り驚いたのです。てっきり美学から出てきた言葉だと思ってました。

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その本の中で、氏は「芸術」は確かに美学の射程圏内ではあるが、はたして「アート」に対して有効なのか?「アート」とは何なのか?といった事を書かれていました。この慎重な姿勢、問題意識は実制作者も当然持っていて然るべきですが(私も含め)ほとんどの実制作側の人間は無頓着です。

確かに、現在の作品は芸術よりも「アート」という語がぴったりとくる程軽妙でお洒落です。

例えばお洒落なバーの壁に、李禹煥さんのストイックな作品、もしくは白髪一雄さんの熱く重苦しい抽象画が掛かっているよりは呉亜沙さんの「Whereabouts」シリーズとか竹中美幸さんの作品があった方がお客さんのお酒も進みやすいでしょう。もし店内に故・田中敦子さんが電球を纏って現れたらもうお酒どころではありません。

どこまでも孤高であろうとした芸術はこの半世紀で親しみある「アート」となり、我々の生活にとけ込みつつ有ります。それが果たして芸術にとって好い事なのか?それとも自らの意味を失う事に繋がってしまうのか?それらについては現時点での判断を留保したいと思います。

「文化的」である事が芸術の使命では決して有りません。しかし、「アート」なるものが「オシャレ」で有る事とこちらが思っている以上に親和性が高く、無意味に「文化的」である事とも地続きである事を踏まえれば、自分の作品が今回のブログのタイトルのようになっているのではないかと、内心戦々恐々なのも事実です。

 

展示のお知らせ LIFE LABO BLD

来年、2月16日〜 21日にLIFE LABO BLDという複合ビルの2Fで展示をさせていただきます。

このLIFE LABO BLDというのは1Fがワルンというカレー屋、2Fがフリースペース&バー、3Fがヘアサロンとういう構成になっています。

カレー屋さん美味しそうです。

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場所的には北堀江、長堀通りとあみだ池筋の交差点から一本入ったところ、といった感じの場所です。土地的にも空間的にもおしゃれスペースです。

展示スペースとバーが繋がってますので、夜はお酒を飲みながら絵を観る事も出来ます。

お近くに来られる事が有ればぜひ!

ある帝王の悔恨

前回、産業とアートの関係を「〜だ、〜である」という固めの文体で書いてみました。これはいつか、文章を書く仕事も出来ればなぁという淡い願望の反映に他ならないので関係者の皆様、機会があればぜひオファーお待ちしております。

さて、前回は産業とアートとの関係以外に、2008年のリーマンショックについても触れました。現在20代半ばくらいまでの方にはあまり実感が湧かないかも知れませんが、当時はかなりの衝撃でした。実体経済に与えた影響もさることながら、(前回と重複しますが)市場の万能性を主張した当時の米財務長官ポールソンが、自らの主張とは矛盾する公的資金を投入して回る様子が新自由主義の終焉を思わせるに十分だったからです。

それまで上手くゆくと思っていた方法、考え方が、実は全く正しくなかったという事を実感させられたのです。日本ではこういう「思想の転換点」には鈍感な中年、年配の人が多いので、企業では今も新自由主義的な考え方で運営が成されている所も多いかと思います。しかし、新しい方法論、制度で運営される組織も増えてきているのも確かです。

もしかしたら、大阪ミナミの雑居ビルの一室では転換点に気付いた金融業を営むある「帝王」が従業員の太郎に悔恨を口にしているかも知れません。

太郎「そしたらアニキ、アニキは新自由主義は一定の帰結を見た、と言わはるんでっか!!」

帝王「とっくの昔にそうやろがい!リーマンショックの時、ポールソンは潰れてまいそうな投資銀行に公的資金を投入してまわっとったやないけェ!ポールソンはゴールドマンサックスの出身やろがい!経済的自由競争を重視し、時にはそれを絶対視までして市場の万能性を擁護しとったのに、やど!!」

太郎「そやかて、それで金の価値が失われるゆう事にはなりはしまへん!!金はこれまで通り金のままですわ!金があればなんでも買えま!!」

帝王「アホウ!とっくの昔に市場の万能性が崩れとるんや!金の意味も価値もそれに釣られ変わっていくわい!」

太郎「あきまへん!アニキのようなお人がそんなこと言わはったらあきまへん!」

帝王「結局のところ、新自由主義っちゅうんはイデオロギーやったんかもしれんのう…80年代、最終局面に差し掛かりつつあった東西冷戦で共産主義に対し自由経済が優れとるっちゅう、それを見せつける為の行き過ぎたイデオロギーやったんかもしれん…」

太郎「アニキ!金で買えん物は無い、金こそ全てやと言うてはったやないですか!」

帝王「それもイデオロギーが言わせた言葉なんかものぅ…」

太郎「!!!」

帝王「わしらのように、幸せとは何か、自分は何を欲しいんか、その問いに答えを出せん者が必要以上に金を欲しがるんかもしれんのう…欲望っちゅうんは模倣的や。自分は何が欲しいか解らんから、他人の欲しがる物が欲しい…その為には金が要る…」

もしそんな会話がミナミの○田金融で交わされていたら、もう少し住みやすい社会になるかも知れませんね。

産業としてのアート

日本ではアート作品があまり売れないと言われる。事実その通りだという実感があるし、私の周りでも100万を超える金額で売買された作品の買い手は知る限りほとんどが外国人である。

「日本には文化が無い」「現代アートに対しての理解がない」というのは日本のアートマーケットについて語る際の定型句であり、物事の一側面を無難に語ってはいるがもう片方のより重大な側面を見落としている。

もう片方の重大な側面、それはアートと政治、経済を中心とした社会との関係、すなわち産業としてのアートについての認識である。国の経済を含む社会構造がどういった形で成立しているか、という事は文化面と同等、あるいはそれ以上にアートとの親和性に影響する。アートマーケットが成立しやすい国としない国では、明らかに社会構造が異なるのである。

日本では、現代アートは多くの先進国においてパブリック•ディプロマシーであり、同時に国の経済を支える産業の一つでもあるという事はほぼ認識されていない。

前者の代表的な例でいうとドイツで開かれる国際展「ドクメンタ」は第二次世界大戦中、ナチ独裁体制下で当時の前衛的な表現を迫害し否定する為開催された「退廃芸術展」において「ファシズムと芸術破壊の国」のイメージがついたドイツの文化的復権を狙ってのものである。また後者では、パリのルーブル美術館は年間1000万人近くの観光客が訪れ、イタリアのヴェネツィア•ヴィエンナーレでは会期中40万人以上の入場者が訪れる。世界最大のアートフェア、スイスの「アートフェア•バーゼル」では全体で約600億の売上がある。これらの経済効果は計り知れない。

古くからアートシーンを引っ張ってきたヨーロッパでは確かに日本に比べアートを売買する慣習は根付いていると言える。ドイツ、フランクフルトに本店を構えるドイツ銀行は、1979年以来現代アートのコレクションを続け、その数は56000点を超え企業のコレクションとしては最大級の規模となっている。またスイスの金融機関グループUBSも1960年からのコレクションが35000点を超える。それぞれ世界に点在するオフィスにアートコレクションを展示し、前者はフリーズの、後者はバーゼルのアートフェアのメインスポンサーとなっている。日本ではプライベート•バンキングはあまり馴染みが無いが、前述の銀行にとって富裕層の資産運用サービスの一環としての美術品の売買サポートや保険、美術品輸送の手配代行は重要な位置を占める。自身がメインスポンサーになっている巨額のアートマネーが行き交うフェアは重要なビジネスフィールドであり、またスポンサーとして特定のアート作品の「価値」もコントロールしやすい。それらのアート作品を富裕層の顧客にすすめ、数年後には「価値」の上がった作品が不動産投資以上の利益を生む。日本ではまず見られない形のビジネスモデルである。

しかしそれらの「慣習」面以上に、日本の場合国策としての経済政策がアートとの親和性が低い。世界トップの年間売上販売台数を誇るトヨタ自動車のような企業を複数有する日本に於いては、未だ発展途上にあるアートを産業の柱にする為に投資するよりも、今有る製造業中心の経済政策を取った方が他国に対しアドバンテージを発揮できる。今でも(少なくとも)当局にとっての産業の中心は製造業である。

戦後日本における復興と製造業の発展は軌を一にしてきた。日本の経済は製造業によってその発展を支えられてきたのである。

製造業を国の基幹産業にするには技術的なノウハウの蓄積も、多額の先行投資も必要となる。まずはそう難しくないありふれた日用品の製造の自動化から始まり、次いで複雑なパーツを生産する為の工作機械が作られる。その工作機械によってより量産化をはかるための機械が生まれたり、より複雑で精密な製品が作られる。製造業において必須となるものは工場を運営していく為の土地であり、人である。製造業はその土地に根ざした長期的な安定性の中に利益拡大の機会を見つける。製品の価値は(アートとは異なり)あくまで実用性や利便性である。

対して産業としてのアートの価値は、その価値を自身の未来の価値に担保させるという自己完結的な循環の中に置く。そしてその循環構造は金融市場においてもよく見られる。現在、一番儲かるビジネスは金で金を買う事である。上がると予想した通貨を現在の価値で購入するのである。上がると予想した人が多ければ多いほど、価格は跳ね上がる。この構造は産業としてのアートの価値の生成過程と原理的には同じだろう。前述のヨーロッパの銀行がアートマーケットに参入してくる理由も、ここにある。そして投機やその他金融商品は株価の上下や景気の動向といった不確実性の中に利益拡大の機会を見いだす。

これら2つの価値は対照的である。

2000年以降、新自由主義によって押し進められたグローバリズムは、市場の万能性を標榜し経済や産業に対しての規制緩和を押し進め、政府による経済や資本の管理を排そうとした。その結果、旧来以上に金、資本は力を持ち、市場と国家は秩序を持たない奔流の中にその身を投じる事となった。

もはやコントロールが効かない「自由経済」の中にあっても、(論理が矛盾した言い方になるが)それぞれの国家は他国に対してアドバンテージを確保できる産業を保護しつつ、次の時代の主流になる産業の発展に注力しようとする。その中でシンガポールのような新興国、香港、台湾などの特定の地域にとっては多額の設備投資や研究開発費への投資の必要なく、不確実に上下する経済の力をある種のレバレッジのように利用して扱う金額、マーケットを拡大できる現代アートは産業の一つとして魅力的であった事だろう。

対して、日本においては例えバーゼルのアートフェアのように600億円の市場規模になったとしても、製造業によって動く金額とは比べられるものではなく(トヨタ自動車の2015年3月期連結売上高は27.2兆円である。)通常はどうしても経済政策は新自由主義によってもたらされたデフレ圧力から製造業を保護する方向へ働く。新興国の安価な生産力に対抗するためには、先進国の製造業は必ずデフレ圧力にさらされるからだ。

しかし、グローバリゼーションの名の下、世界中に過剰な競争をもたらした新自由主義は2008年のリーマンショックで一定の帰結を見た。当時の米財務長官のポールソンは、市場の自由を積極的に擁護したゴールドマンサックスの出身であったが、その彼が公的資金を投入して回る様子、史上最大の政府による金融介入は新自由主義の終焉の象徴であったように思われる。また、リーマンショックの際に買いに回り、最後に市場を支えたのは共産主義国家の中国である。これらの事からも解るように、新自由主義の言う市場の万能性など(ミクロ経済学の理論上は成立するが)現実には存在しようが無かったのだ。

戦後、東西冷戦下において共産圏に対しての行き過ぎたイデオロギーが「新自由主義」だったのかもしれない。共産主義は財産を共有する事によって平等な社会を目指した。そのような形の経済を否定する為のイデオロギーが「新自由主義」だったとは言えないだろうか。

今から考えると、アート作品でさえも新自由主義に飲み込まれ、グローバリゼーションに追い立てられる姿は幾分滑稽な物でもあった。

経済の背景にある思想、ソフトが変化すれば、それと密接に関係していたアートの価値の成り立ちも変化する。アートフェアで数千万で取引される「アート」がある一方で、日常と呼ばれる範囲の中でやり取りされる現実に根ざしたアートの価値も確かに存在する。その二つの価値の間で実体を持たずにアンビバレンツに揺蕩うものの姿をアートと呼ぶのだとすれば、後者のアートの価値は、実体を持たないアートと現実をつなぐ為の唯一のアンカーなのである。このアンカーが無ければ、現実を離れたアートの価値はバブルのようにどこまでも高騰する。しかし、現実から切り離されたバブル的な価値に対して、我々は果たして「価値」を認めるだろうか。

残念ながら今後、日本において一般にヨーロッパ、アメリカのようなアートマーケットが成立、定着する可能性は低いだろう。アートマーケットを成立させるには、具体的な構造や回路、制度以上に、それに伴う多くの人のより複雑な精神的対応とある程度長期的な運用体験が必要なのである。

もしも日本で現代アートのマーケットを立ち上げようとするのなら、「アートの価値とは何か」という問いに対し、(それが正しい、誤っているという事とは関係がなく)明確な回答を要するだろう。すなわち、ヨーロッパのようにアートは「価値」を自製させるための装置、とするのか、前述のアンカーと例えた現実に根ざした「アート」とするのか。どちらを選択するかにより、その後成立するマーケットの形は異なった物となる。だが、そのことから目をそらし、本質を理解せずに諸外国の成功したアートフェアの形式だけを真似たとしても現代アートのマーケットは成立し得ない。

換言すれば、現在、日本においてアートの価値が不明瞭なのだ。ヨーロッパ、アメリカではアートの価値は経済的価値と学術的価値の二重構造として成り立っている。だからこそ上述のようなアートフェアの展開が可能なのだ。

しかしその不明瞭な部分には、アートに対しアメリカ•ヨーロッパとは別の「価値」を定義できれば、既存とは異なったアートマーケットの成立の可能性が示唆されていることも確かなのである。

それは同時に、戦後日本を支えた経済にまつわる価値観との決別、という事でもあるが。

 

 

 

アートとビジネスを繋ぐ為の試論

2015年現在、大阪の景気はアベノミクスの影響を感じられないくらいに良くなく、これから就活を始めないといけない美術系の学生さんは大変だろうなと思います。そうは言っても(一応)私も社会の構成員の1人なのでその責任の一端は当然あるので20代の人たちには申し訳ない気持ちで一杯です。

前にも書きましたが、美術は好•不況の影響をモロに受ける分野です。好景気の中でばんばん作品も売れて欲しいなぁ!と思っていますが資本主義のシステムを見る限り「好景気が続く」事は不可能だろうな…と経済の専門家でない私でも感じるくらい、それは無理のある話です。

しかし、一方で社会を取り巻く価値観の変化、それに伴って社会の仕組みも2000年以降、随分変わってきたなと感じる場面も増えてきています。思うに、これからのビジネスは「お金以外の利益」を社会に還元する、と言うのが必要になってくるのだろうと思います。

現在、私の小品を取り扱って頂いてます「くま美術店」さんは東京都主催のビジネスコンテスト「Tokyo Startup Gateway」に出品?出店?されています。今まで美術に興味を持っていなかった層に作品売買を含めた美術とのエンカウントのチャンネルを提供しアートマーケットを拡げて行こうとされており、代表の荒木さんからビジネスコンテストのセミファイナリストに選出されたと聞いた時は素直にすごいな!と思いました。ついにアートがビジネスになる時代が来たか!

他のセミファイナリストの人のアイディアも面白そうなのが多いですね。興味のある人はHPを見てもらえば良いと思うのですが、例えば一番最初に載っている浅野純平さん「林業を稼げる産業へ〜ITを利用した、国産材流通革命プラットフォーム〜」などは、私も今の時代林業に限らず各業界、業種の流通プラットフォームはデザインされ直すべきだと考えているので興味があります。

コンテスト

 

 

コンテスト2

というかビジネスコンテストのHPもかっこいいな。何か新しいものが生まれそう。。。いつも東京と大阪の対比のような事を書いて、大阪の人には申し訳ないのですがこれ大阪でやったら上手くいかんやろなーと思います。だって我が大阪がものつくり企業の販路開拓のお手伝いや展示会、商談会の為に用意した施設がなんと「マイドーム大阪」!!何そのネーミング。。。ビジネスの為の施設にそんなダジャレ要る?すべりすぎ…会社の仕事で何度か行った事が有るのですが、そのネーミング故、仕事に必要な緊張感は奪われ続けます。

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大阪のひどいところはまだ有ります。今年新幹線が開通した石川駅では中田ヤスタカさん制作の発車メロディが使用され話題になりました。これは地元の人も観光で来た人も、両方興味が惹かれます。うらやましい。それを真似てなのか、大阪環状線の駅にも音楽が流れるようになりました。桜ノ宮駅は大塚愛さんの「さくらんぼ」。10年遅い!!なぜテレビで流れまくってる時に使わなかった!?鶴橋に到っては「ヨーデル食べ放題」って浅い!!焼き肉しかないか…?さらに大阪城公園駅ではほら貝の吹かれる音がしてます。もうそれは発車メロディと呼べるかどうか。しかもこれらは「大阪環状線改造プロジェクト」の一環らしく、もう改造しなくても現状維持でいいよ。という利用者の声を尊重して欲しいと思います。他の駅の選曲もひどいし。

私は大阪の景気が良くならないのはこのおっさんの飲み会の悪ふざけとしか思えないアイディアが実現してしまうところがあるからだと確信しています。。。

 

 

 

作品の販売

くま美術店さんで小品の販売をしていただく事となりました。

普段とは雰囲気の違う作品ですので、興味のある方はぜひご覧下さい。

作者の一押しは「坂道」です。

 

お前らと、オレの言うそれは違う

日本で有名なアートフェアといえばもちろんアートフェア東京、次いで京都のアートフェアでしょうか。あまり有名ではありませんが一応、大阪でもアートフェアは行われております。

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東京や京都のアートフェアに比べて大阪のアートフェアは実にひっそりと開催されます。先日7月4日より、JR大阪駅、大阪ステーションシティ内にあるホテルグランヴィアにてART OSAKA 2015が行われているので初日に行って来ました。出展ギャラリーはどこも有名なはずですが、大阪で絵を描いているにもかかわらず私はなぜかあまり知っているギャラリーがありません。これは別に各ギャラリーの知名度を皮肉っているわけではなく、私個人が世情に疎く、ほぼ大阪のギャラリーを知らないのです。というかART OSAKA 2015ってグランヴィアでやってたんや。。。数年前まで堂島かどっかでやってなかったっけ?というくらいの情報量です。もっと大阪のギャラリーの事を知ろう…

とは言え、私も長く大阪に住んでいるので、作家さんの友人、知人はそれなりに多くいます。そんな友人、知人と飲みに行ったりした際に、「○○○ギャラリーとトラぶった」話を非常に良く耳にします。そんな不信感が私に有ってギャラリーとの距離を生んでいるのかもしれません。そしてそのトラブルとは主に金銭トラブルです。

「絵が売れたのに、なぜかギャラリーからお金が振り込まれない!」といった切迫したものから「○○○ギャラリーのオーナーは絵が売れたら必ずピンクなお店に行く!そんなお金の使い道を所属作家の前で言うなや!」など、ギャグのようなものまで様々です。そんなギャラリーはごく一部、と思いたいですが、そう思えないほどに有名なところも含めいろんなギャラリーの話を聞いてしまいます。もちろん、それらが事実である証拠はないのでただ聞いているだけの私は何とも言えないですが、独立したての弁護士さん、将来に向けて新規業界の開拓を検討されている弁護士さんは興味があればご一報ください。今までには無かったタイプの労働問題です。

一方で、そういった私個人の不信感とは関係なく、美術館やギャラリーのような閉鎖的なホワイトキューブ以外、例えば街中でのライブ的な開かれた展示があってもいいんじゃないの?という気持ちも多少あり、大阪のアートフェアに今ひとつ興味を持てなかった面も有ります。毎年同じような会場、スペースでマンネリ化しないのかな?と(勝手に)思ったりする訳です。

さて、11:00オープンのART OSAKA 2015ですが、グランヴィアの近くまで行ったところ、大阪駅構内に大きな絵画を持った写真の彼が一人で立っていました。

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アートフェア周辺の路上でゲリラ的に絵画を展示する、アートフェアの規模は小さいのにそこだけバーゼルとかヴェネツィアビエンナーレみたいやな。しかも一人で大阪駅のど真ん中。。。

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Photo:ATARI MD All Rights Reserved.

いいよ〜、そのハリボテ感。良い意味でのズッコケ感が大阪っぽい。表現の場は必ずしもホワイトキューブである必要はありません。ホワイトキューブで静的なコンセプトやテーマに向かって収斂していく作品よりも、このような路上での表現(ツイッターやfacebookですぐに拡散していく様子も含めて)のほうがむしろ動的なリアリティを感じ取りやすいのではないでしょうか。

ツイッターやfacebookでも当日地味に取り上げられてましたよ。

アートフェアを観に行ったつもりが、その外側で面白いものが観れた!すごく得した!という気分になり、結局、アートフェアは観ずに帰って来ました。

ここに貼ってある3枚の写真はもちろん著作権により保護されていますが、用途によっては使用が可能です。何かに使いたい、という方はご連絡を!(ほぼ使い道ないけど…)

 

 

 

 

 

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